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金原古墳

  • 金原古墳
ここの看板に詳しく書いてあるので(他の古墳のことも)
説明は不要でしょう



書いてあるように、蓋の部分もあったと思われますが
現存している古墳には蓋はなく、ぽっかりと上から中が見える形になっております



中に入ると地面からおよそ130cm程石の高さがあるようです


場所はこちら

周りがブドウのハウスで囲まれていますが
車が一台通れるくらいの細い道が古墳の目の前までありますので
車で行くことも可能ですが
案内板から徒歩1分程度ですので
道路に車を置いて歩かれた方が良いと思われます
(途中草が車に当たる可能性もあり危険です)
2009.08.30:umai:[高畠の史料]

じじばば石

  • じじばば石

安久津八幡神社に行きますと、
木の鳥居がございまして、その足元に2本の長い石が横たわっています
この石をじじばば石と呼んでいます


高畠町の南部に位置する上和田(立石)からこの石を運んだという言い伝えがあります。立石(たていし)はデラウエアを高畠でいち早く生産されたといわれている地区です。

 


この石はもともとは一本の長い石で、運んでいる最中に真っ二つに折れたのですが
その折れた場所を「折石(おりいし)」という地名で呼んでおります(旧高畠第三中学校付近)

そして、この石を運んだのが当時のじいちゃんばあちゃん達
一夜にして約15~6kmの距離を老人が運んだと言われています
現在の場所は若干動いているそうですが、
ほぼ同じ位置に昔からあったそうで
何のために運んだのか、何に使われる予定だったのか、出発点が立石のどこなのかも
全くわからないそうです

 

当時のじいちゃん、ばあちゃんは現代のじいちゃんばあちゃんよりも若かった???

現在じいちゃんばあちゃんと見た目を言われる人はおそらく70代以降の世代ではないでしょうか?その昔、人生60年の頃の当時のじいちゃんばあちゃんは・・・きっと40代☆多分・・・


場所はこちら

2009.08.22:umai:[高畠の史料]

千年松

  • 千年松
高畠町安久津八幡宮内に見ることができます

この地に阿弥陀堂を建てた慈覚大師が松を手植えしたとし、
そのことが由来し、1000年松と呼ばれています



郷土資料館に行く途中にあります

場所はこちらです
2009.08.14:umai:[高畠の史料]

三重塔

  • 三重塔
安久津八幡宮の中にある三重塔です

足元に田んぼが広がり、縄文かかしが立って見守っています



三重塔は本来寺院伽藍(がらん)の一つで明治の神仏分離令によって本社内の寺院が廃絶し、その後の火災などにより寺院が失われたため、三重塔のみが残りました
三重塔は置賜地方唯一の層塔です

場所はこちら
2009.08.14:umai:[高畠の史料]

山中神明宰

  • 山中神明宰
天明3年の大不況の時に

山中太郎右衛門さんが

独断で上米蔵(年貢米を収納する蔵)を開き、
お米を施したとして郷土の村民を救ったそうです

これが幕府にバレちゃって、江戸に行くことになったんだけど、
幕府をも動かす民情あふれる至誠に

租税が免除されるという恩命が下りました


一切の責任は自分にあると断言し、
旅立った彼への感謝と感激を後世に遺すべく
安久津、新宿(二井宿)、竹森、深沼の村民達が報恩碑を建てたというわけなんですね


素敵ですね



場所は、安久津八幡宮内


2009.08.14:umai:[高畠の史料]