明治29年(1896年)に上杉家最後の藩主である茂憲公の邸宅として建てられたのが上杉伯爵邸です。大正8年(1919年)の米沢大火で焼失し、現在は大正14年(1925年)に再建された建物が遺っています。設計は米沢市出身の中條精一郎先生で国の登録文化財に指定されています。
かつては上杉謙信公の祠堂を守り供養を執り行う十一寺が建ち並んでいました。 昭和24年(1949年)、上杉家から米沢市に譲渡されました。 玄関右側の外窓のガラスは大正時代の物です。(表面が波打っています) 庭園は、林泉寺、法泉寺の庭とともに米沢三名園とされています。 お庭を眺めながら米沢の郷土料理を味わうことが出来ます。 詳しくは → 上杉伯爵邸 上杉伯爵邸の地図 ![]() 上杉時代館の「直江兼続公」講座(本館) |
上杉家が入部するまで米沢城の正門は北門でしたが、慶長6年(1601年)、米沢30万石減封により上杉景勝公が米沢城に入城すると直江兼続公は正門を東門に改修しました。本丸の入口には二階建ての大手門(大御門)が南向きに、更にその外側の二の丸には小御門が東向きに建てられました。現在伝国の杜のロータリーと駐車場になっている辺りが大手門があった場所です。
大手門の東側には上級家臣団(高家衆)の屋敷が建ち並んでいたことから当初は「主水(もんど)町」と呼ばれていましたが、後に門の東側の町ということで「門東町(もんとうまち)」に変更されました。現在もその名称が使用されています。 画像左側(南向き)に向かって二階建ての大手門がありました。 二の丸 〜 本丸大手門 へ通じた道が現存しています。 往古御城下絵図。現存する最古の米沢城下町絵図です。寛永17年(1640年)作。上杉家第17代当主上杉邦憲様より許可を得て掲載しております。 米沢城大手門跡の地図 ![]() 上杉時代館の「直江兼続公」講座(本館) |
慶長3年(1598年)、豊臣秀吉の命により上杉景勝公は越後から会津120万石に移封となり、同時に直江兼続公は領内の米沢30万石を拝領しました。米沢城主となった直江兼続公は当初現在松岬神社が建つ場所に屋敷を構えましたが、慶長6年(1601年)、徳川家康からの上杉家米沢30万石に減封により僅か3年で屋敷を移すことになりました。移転先となった場所は現在一般住宅地になっており当時を偲ばせる面影は何も残っておりません。
米沢市の案内表示板があるのみです。 直江兼続公時代に付けられた町名(旧町名)が今でもごく普通に用いられます。 昭和53年(1978年)米沢「旧町名を大切にする会」発行の地図を引用。(許可を得て掲載) ![]() 正確な境が不明なため●印で表示しています ![]() 直江兼続公屋敷跡の案内表示板の地図 ![]() 上杉時代館の「直江兼続公」講座(本館) |
伝国(でんこく)の杜は、山形県と米沢市の合築施設として平成13年9月29日に誕生した建物です。山形県の施設は「置賜文化ホール」で、空気浮上式の可動能舞台があるホールや大会議室を備えています。一方米沢市の施設は、米沢市立上杉博物館です。こちらには国宝「上杉本 洛中洛外図屏風」をはじめ約17,700点にものぼる歴史や文化にまつわる品々が収蔵されています。
山形県と米沢市の合築施設「伝国の杜」。 使用時以外はエントランスで展示公開されている空気浮上式可動能舞台。 「米沢天地人博」が開催された米沢市上杉博物館。 敷地西側にある「置賜の庭」の「かてもの園」では、米沢で食されたり薬用とされてきた植物を見ることが出来ます。 「置賜の庭」にあるこの「行屋(ぎょうや)」呼ばれる建物は、 成人の儀式の前に使われていました。 直江兼続公、上杉鷹山公が奨励した「うこぎの垣根」もここで見ることが出来ます。 伝国の杜 米沢市上杉博物館・置賜文化ホール 伝国の杜の地図 ![]() 上杉時代館の「直江兼続公」講座(本館) |
米沢城には本丸、二の丸、三の丸の堀がありましたが、明治6年(1873年)に城が取り壊されると二の丸、三の丸の堀は埋められてしまいました。辛うじて二の丸の堀の一部が上杉伯爵邸南側に残っています。三の丸の堀は当時のまま残っている所はありません。(一部河川となっています)
僅かに遺る米沢城の二の丸の堀。(画像右奥の水路) 幅と深さは2間3尺(3.6m〜4.1m)との記録がありますが、現在はかなり浅くなっています。 以前はもっと奥まで遺っていましたが近年更に少なくなりました。 米沢城跡 二の丸の堀の地図 ![]() 上杉時代館の「直江兼続公」講座(本館) |
All Rights Reserved by 上杉時代館
松ヶ岬第二公園の上杉鷹山公座像。(以前は北西の方角に向けて置かれていました)
現在は南の方角を向いて鎮座されています。
上杉鷹山公を祀る松岬神社境内の「伝国の辞」の石碑。
御堀端(おほりばた)史跡保存会 作成資料より引用。
35歳で隠居される際、次代上杉治広公に贈られた国を治める心得が「伝国の辞」です。
上杉鷹山公座像の地図 「伝国の辞」の石碑の地図
上杉時代館の「直江兼続公」講座(本館)