大正8年の米沢大火によって焼失した上杉神社は大正12年(1923年)4月再建されました。時を同じくして上杉神社稽照殿(けいしょうでん)が開館しています。上杉謙信公、上杉景勝公、上杉鷹山公、直江兼続の遺品を中心に多数の重要文化財を収蔵しています。国の登録文化財です。
上杉神社本殿の正面右隣が稽照殿です。 上杉謙信公がご愛用なされた【馬上杯】がございます。どうぞお見逃しなく。尚、設計は上杉神社と同じく米沢出身の伊東忠太先生です。 直江兼続公の【愛の兜 甲冑】もこちらの稽照殿で所蔵展示されています。(画像は米沢市観光PRポスター) ![]() 上杉時代館の「直江兼続公」講座(本館) |
米沢藩中興の祖「上杉鷹山公」は、宝暦元年(1751年)に日向国(宮崎県)高鍋藩秋月家の二男として誕生され、10歳の時に上杉家へ養子として入られました。16歳で元服し治憲(はるのり)と改名、17歳で上杉家の家督を継がれています。35歳で隠居され、52歳の時には鷹山(ようざん)と改名、ご逝去される72歳までその生涯を米沢のため民のために捧げられました。膨大な借金に喘ぎ廃藩寸前だった米沢藩を見事に黒字の健全な藩に復興し豊な米沢を造られた名君でございます。
産業の振興、質素倹約、文武の奨励、自ら先頭に立ち実践されました。 藩政の改革に望む強い決意が込められています。 皆さんご存じの「なせばなる・・・」は上杉鷹山公が詠まれた歌です。 米沢市上杉博物館 学芸員 角屋先生 作成資料より引用。 ![]() 上杉鷹山公像の地図 「民の父母」の石碑の地図 「なせばなる」の石碑の地図 ![]() 上杉時代館の「直江兼続公」講座(本館) |
米沢城跡本丸の南側に堀をまたいで架けられている赤い橋が「菱門橋」です。かつては上杉家の藩主以外渡ることが許されていなかったという由緒ある橋です。本丸からこの橋を渡り二の丸に出ると、この先には上杉鷹山公が隠居された餐霞館(さんかさん)がありました。米沢藩中興の祖「上杉鷹山公」も橋の上からこの景色をご覧になられたかと思うとつい歴史ロマンに引き込まれてしまいます。菱門橋は別名「たいこ橋」とも呼ばれています。
春の桜と「菱門橋」。上杉神社周辺は桜の名所となっています。 このアングル、パンフレットや情報誌でご覧になられた方も多いと思います。 初冬の冬枯れの中、「菱門橋」の綺麗な赤が景色に彩りを添えています。 今は誰でも渡ることが出来る「菱門橋」は「秘し門」から名付けられたました。 米沢城跡 菱門橋の地図 ![]() 上杉時代館の「直江兼続公」講座(本館) |
米沢城跡正面(東門)に堀をまたいで架けられている橋が「舞鶴橋」です。上杉氏の時代のものではなく、明治19年(1886年)に架けられた石造りの橋で、国の登録文化財に指定されています。
長い冬の後の春を喜ぶように桜が満開となった米沢城跡と舞鶴橋。 夏は舞鶴橋の脇を打ち上げ場所として「水上花火大会」が催されます。 「毘」と「龍」の旗がたなびく舞鶴橋。 橋の下の堀には鯉が、周囲には鳩が沢山います。どちらも餌付けを楽しめます。 米沢城跡 舞鶴橋の地図 ![]() 上杉時代館の「直江兼続公」講座(本館) |
米沢市の上杉神社は、明治4年(1871年)にかつての米沢城本丸御殿跡に上杉謙信公と上杉鷹山公を祭神として創建されました。その後、明治35年(1902年)、明治政府から別格官弊社(それまでは県社)に列せられ、祭神は上杉謙信公のみとなりました。国の登録文化財に指定されています。
かつて米沢城本丸の正門は北門でしたが、上杉景勝公の米沢城入城とともに直江兼続公によって現在のような東門に改められました。東門に架かる石造りの橋は、明治になってから架けられた国の登録文化財「舞鶴橋」です。 全国に27ある別格官弊社(べっかくかんぺいしゃ)の一つ。日光東照宮、久能山東照宮と同じ社格です。 正式にはこの鳥居の先が上杉神社となります。 2つ目の鳥居をくぐると本殿です。 創建当初の社殿は、大正8年(1919年)の米沢大火によって焼失してしまいました。現在の社殿は大正12年(1923年)に再建された社です。設計は米沢出身の伊東忠太先生です。 上杉神社の地図] ![]() 上杉時代館の「直江兼続公」講座(本館) |
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天正6年(1578年)3月13日、越後春日山城で亡くなられた上杉謙信公のご遺骸は、甲冑姿で甕に納められ周りを漆でしっかりと固められていました。会津移封により越後の地を離れ、その後米沢減封により米沢へと移されていました。
上杉謙信公の存在はその死後も家臣団の精神的な支えであるとともに、減封による苦悩下において家臣団の心を一つにする象徴でした。
米沢城本丸跡の南東部。高台になっているのが分かります。
明治9年までこの高台に上杉謙信公のご遺骸が安置されていました。
現在は歴代藩主が眠る上杉家御廟所に安置されています。
祠堂(御堂)の建物は長命寺の本堂として現存しています。
上杉謙信公祠堂跡の地図
上杉時代館の「直江兼続公」講座(本館)