上杉時代館の「直江兼続公」講座(別館) - 山形県米沢市

大河ドラマ 八重の桜 (2013年放送)の主人公 新島八重 のマスコットキャラクターが決定し福島県から公開されています。


詳しい情報はこちらからどうぞ → 八重をもっと知り隊 事務局




上杉時代館の「直江兼続公」講座(本館)
福島県の「新島八重」マスコットキャラクター ”八重たん ”

2013年の大河ドラマ 八重の桜 の主人公 新島八重 は、明治4年(1871年)に実兄の山本覚馬を頼り京都へ移住するまで会津に暮らしていたと見られて来ましたが、最近行われた調査で明治元年(1868年)9月の会津戊辰戦争終戦後から京都に移住するまでの間、米沢県(山形県米沢市)に暮らしていた時期があったことが判明しました。

会津図書館に保存されている旧北会津郡の戸籍を調べていた野口信一氏(会津歴史考房主宰)が、八重の戸籍を発見したことに由来するもので、そこには 米沢藩士の内藤新一郎方 に川崎八重(新島八重)と山本一族4人(母、兄嫁、兄娘、伯母)が身を寄せたと記載されているそうです。

内藤新一郎なる米沢藩士については今後情報収集の上掲載致しますが、今までお隣の県のこととして見ていたことが、今回もたらされた情報により俄然「新島八重」という人物に親近感を感じるようになったことは確かです。


福島県 八重をもっと知り隊 事務局


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上杉時代館の「直江兼続公」講座(本館)
直江兼続公の「愛」の前立て(金小札浅葱糸威二枚胴具足 直江兼続召料「兜」- 上杉神社 所蔵)の由来については、残念ながら史料(古文書)は何も残されておらず詳しいことは何も分かっておりません。諸説沢山ありますがこの件に関しては全てが憶測で語られていることにご留意下さい。

その説の一つに「愛染明王説」があります。直江兼続の主君上杉景勝公の兜には、大日如来の日輪に「愛染明王」(あいぜんみょうおう)の四文字が刻まれている前立てが実在しています。このことに合わせて直江兼続公は米沢城から見て辰巳(南東)の吉方角上に、大日如来と愛染明王の社を二つ並べて建てています。同一方位線上の米沢城側(内側)に大日如来、外側に愛染明王という建て方から見える上下関係は明らかで、兜の前立てについてもこの関係を共有させたのではないかと考えられています。

現在の社は大正8年(1919年)の米沢大火後に再建された建物です。


大火の中、氏子さんの一人が家財ではなく愛染明王を背負って避難され難を
逃れました。


愛染明王のご開帳は7月1日の例大祭日と元旦の年間2日間のみです。


拝観ではなくお参りするという気持ちならこの2日間に限り見ることが出来ます。


米沢直江会 直江兼続公 山車人形。


愛染明王については、地図による位置情報表示を自粛致します。



上杉時代館の「直江兼続公」講座(本館)
米沢城下の西側にそびえる愛宕山(555m)と羽山(534m)には 愛宕神社 と羽山神社が祀られていますが、両山の登山口にあたる地蔵院には2つに神社を合祀した「愛宕羽山両神社」が建てられています。8月1日の例大祭には「愛宕の火祭り」の松明行列とともに2つに神社の神輿が城下から地蔵院まで駆け上がります。







愛宕羽山両神社の地図



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【大河ドラマ 八重の桜】 米沢にも暮らした八重


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上杉時代館の「直江兼続公」講座(本館)
全国に約900もの社があると言われる愛宕神社。その一つが米沢市にもあります。京都市右京区にある総本社のように米沢の愛宕神社も山の頂上に建てられており、歴史は古く上杉家入部以前の蒲生氏、伊達氏、長井氏の時代までさかのぼります。8月1日の例大祭の日は早朝に市民登山が行われ、夕方は「愛宕の火祭り」が開催されています。登山口にあたる「地蔵院」には愛宕羽山両神社の社もあります。

麓の地蔵院にある愛宕羽山両神社。


地蔵院から2.2km先の愛宕山山頂を目指します。


愛宕神社が建つ標高555m、愛宕山山頂に到着。


8月1日は早朝から登山者で賑わう愛宕神社。


山頂から望む早朝の米沢南西部〜南東部。


夕方から開催される「愛宕の火祭り」


米沢城跡の近くから神輿と松明行列が地蔵院を目指します。


愛宕神社には上杉鷹山公も「雨乞い」のため参拝されました。


愛宕山の麓 地蔵院の地図

米沢の愛宕神社の地図



上杉時代館の「直江兼続公」講座(本館)
羽黒神社(はぐろじんじゃ)の縁起は、大同元年(806年)と伝えられており、米沢市内にある 笹野観音堂 とならび大変歴史のある社です。現在の社殿は棟札から天明8年(1788年)6月15日に再建されたものと考えられています。近年社殿に老朽化による重大な痛みが確認され、平成20年(2008年)から行われた平成の大改修により現在はその美しい姿を取り戻しています。尚、社殿の再建ならびに修築については、伊達政宗公、直江兼続公も行ったと伝えられています。

羽黒神社は、米沢藩中興の祖「上杉鷹山公」が江戸から米沢に入れらた生涯の師「細井平州」先生を出迎えられた場所として、同地区の 普門院 とともに 上杉治憲敬師郊迎跡 として国指定史跡となっています。









羽黒神社の地図



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【大河ドラマ 八重の桜】 米沢にも暮らした八重


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