上杉時代館の「直江兼続公」講座(別館) - 山形県米沢市

米沢の白子神社(しろこじんじゃ)は、和銅5年(712年)創建と伝わる大変歴史のある神社です。米沢を治めた歴代の領主から守護を受けて来た白子神社ですが、直江兼続公も上杉家の会津120万石移封に伴い米沢30万石の城主となった際に社殿の修復を行っています。米沢中興の祖、第9代米沢藩主 上杉鷹山公 が藩の財政改革に臨むにあたり誓詞を納めた神社としても有名です。現在の社は大正6年の大火焼失後、同13年に再建された建物ですが、近年老朽化による痛みが目立ち始めたため今年度から 平成の大改修 が行われることになっています。神社には山形県最古と見られる約1000年前の鬼瓦が所蔵されています。



白子神社の地図



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上杉時代館の「直江兼続公」講座(本館)
上杉家の120万石移封、30万石減封により多くの寺院が越後から会津、米沢と移されましたが、越後国上田庄上山あった「関興庵」(かんこうあん)もその寺の一つでした。米沢に入った「関興庵」は、直江兼続公により米沢城の守護と安泰を祈念し鬼門にあたる城下北東部に再建されています。現在南魚沼市にある「関興寺」(かんこうじ)は、米沢の「関興庵」から住職の一人が後に越後に戻り再興したお寺です。「関興庵」は直江兼続公の生家樋口家の菩提寺です。

越後国上田庄上山(南魚沼市)から米沢に移された「関興庵」。


直江兼続公の生家樋口家の菩提寺です。


後に越後国上田庄上野(南魚沼市)に再興された「関興寺」。


樋口家の菩提寺 関興庵の地図

新潟県南魚沼市 関興寺の地図



上杉時代館の「直江兼続公」講座(本館)
米沢市関根にある 普門院 (ふもんいん)は、同地区にある羽黒神社とともに 上杉治憲敬師郊迎跡 として国指定史跡となっている寺です。

普門院は、萱葺き屋根の一部が陥没するなど近年老朽化による痛みが顕著になって来ており、今年度から 平成の大改修 が始まることになっています。大改修が終わるのは平成30年(2018年)の予定ですので今後7年間に渡りシートに覆われることになります。拝観を希望される方はぜひお急ぎ下さい。





今年で216年になる細井平州先生お手植えの椿。








普門院の地図



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上杉時代館の「直江兼続公」講座(本館)
「風の神」と書かれていれば誰しもお天気の風の神様を連想するところですが、米沢にある「風の神」はなんと風邪(感冒)の神様なのです。元々は米沢藩士の屋敷神として祀られていただけでしたが、周辺住民の話題となりお札や講、神輿に社まで作って盛大に祀られることになりました。昭和25年に山形地方検察庁米沢支部が屋敷跡に建てられましたが、「風の神」だけは特別に残されることになり、現在も検察庁の門の内側にその社が建っています。

官地(検察庁)に建つ米沢の「風(風邪)の神」。検察庁のみなさん風邪ひかないのでしょうか?


風(風邪)の神の地図



上杉時代館の「直江兼続公」講座(本館)
上杉家とともに越後から会津、米沢と移された寺が多い中、禅林寺は元和4年(1618年)に上杉景勝公の命で直江兼続公が普請奉行となり米沢の地で開かれたお寺です。開祖には 足利学校 に学んだ僧「九山」が迎えられ、直江兼続公の蔵書と九山和尚の蔵書を納めた藩の学問所「禅林文庫」が併設されました。これらの蔵書は後に上杉鷹山の藩政改革の礎となり藩校興譲館から米沢市立図書館に所蔵され「米沢善本」の一部を成しています。法泉寺の境内は大正6年と同8年の米沢大火の後に道を通したため南北に二分されてしまいましたが、北側の境内に残った庭園は 林泉寺鳳台寺 の庭園とともに美しい庭として「米沢三名園」に数えられた時代もありました。尚、元禄3年(1690年)、第五代上杉綱憲公の命により寺号は「禅林寺」から「法泉寺」に改号され現在に至っています。

法泉寺境内に建つ文殊堂。(北側の境内)


直江兼続公の歌碑が建てられています。(北側の境内)



直江兼続公の歌碑に刻まれた「文武両金」の文字。(文武両道と同じ意味)


かつての「米沢三名園」も手が入らないためご覧のような状態になっています。(北側の境内)


法泉寺の地図



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上杉時代館の「直江兼続公」講座(本館)
鳳台寺(ほうだいじ)は、もともと越後国府中(現在の新潟県上越市直江津)に「至徳寺」という寺号であった寺です。ところが上杉謙信公が急逝された際に起きた2人の養子(上杉景勝公と上杉景虎)による家督相続の争い 御館の乱 の戦火に巻き込まれ至徳寺は全てを焼失してしまいました。その後越後の地に再建されることなく至徳寺は僧のみが上杉家の会津移封、米沢減封に伴い米沢の地に入ります。その時の住職は豊山能達という和尚で、直江兼続公の義母(直江景綱(実綱)室)の甥にあたる方だったため、直江兼続公はこれを加護し米沢の地に至徳寺を再建しました。この時豊山能達和尚は、直江景綱(実綱)室の法名から2字をとり、寺号を「至徳寺」から「鳳台寺」に改号され現在に至っています。

今も新潟から沢山の方が訪れる鳳台寺。


米沢に旧町名として残る「与板町」の名称。(鳳台寺北側)


鳳台寺の地図



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上杉時代館の「直江兼続公」講座(本館)