上杉時代館の「直江兼続公」講座(別館) - 山形県米沢市

上杉景勝公(長尾顕景)、直江兼続公(樋口与六)の生誕の地である越後国上田庄坂戸(新潟県南魚沼市)は上田長尾家が治めていた土地でした。その城下に上田長尾家の菩提寺としてあったのが「龍言寺」(りゅうごんじ)です。

上杉景勝公の父である長尾政景公が事件に巻き込まれ亡くなると、上杉景勝公と母である仙洞院様(上杉謙信公の実姉綾姫)は春日山城主の上杉謙信公に引き取られます。これにより上田長尾家は事実上断絶となり上田庄は上杉謙信公の支配となりました。

上杉謙信公の死後、上杉家の家督を継いだ上杉景勝公は、会津、米沢と移る際も「龍言寺」を共に移し、特に米沢に入部された時は、米沢城本丸の「上杉謙信公祠堂」に次いで「龍言寺」の建設を急ぐよう直江兼続公に命じています。

上杉景勝公の守護を受け米沢の地にいち早く再建された「龍言寺」。






天文十一年の文字が見えます。(長尾政景公と仙洞院様が結婚された頃)


新潟県南魚沼市の「龍言寺跡」に建つ石柱。

新潟県南魚沼市の龍言寺跡の地図

※「龍言寺」様は拝観を行っておられません。
上田長尾家の菩提寺 龍言寺の地図



上杉時代館の「直江兼続公」講座(本館)
上杉家の会津120万石移封、米沢30万石減封に伴い多くの寺が越後から米沢に移されていますが、常安寺(じょうあんじ)は現在の長岡市栃尾から米沢に移された寺です。

上杉謙信公がまだ幼少だった頃、栃尾で過ごしていたある日、地衆達によって捕らわれそうになりました。その時常安寺の住職であり上杉謙信公の師を務めていた門祭和尚は、身を挺して上杉謙信公をお救いになられました。以後常安寺は上杉家から格別の守護を受け、上杉家の執政となった直江兼続公(23歳)もお寺の門に掟を掲げ加護しています。今でも米沢の常安寺と栃尾の常安寺には上杉家から拝領した貴重な品々が伝わっています。





新潟県長岡市栃尾の秋葉公園にある「上杉謙信公座像」


秋葉公園の麓にある栃尾の「常安寺」


米沢の常安寺の地図   栃尾の常安寺の地図



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上杉時代館の「直江兼続公」講座(本館)
米沢の真福寺(しんぷくじ)は、直江兼続公に続き正室お船の方が亡くなった後、東源寺 が創建されるまでの間、直江家の家臣団「与板衆」が細々と法要を執り行った寺です。その経緯については当ブログ内の 直江兼続公夫妻墓所 - 権力に翻弄された墓 に記載しておりますのでそちらをご参照下さい。



真福寺は、 直江兼続公が造った防衛機能「寺町」 の東寺町にあります。

真福寺の地図



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上杉時代館の「直江兼続公」講座(本館)
天正18年(1590年)3月、豊臣秀吉の命を受け上杉景勝公は直江兼続公を従えて小田原城の北条氏政征伐に出陣しました。同年7月、北条氏政の自害という結末で小田原城は開城され、戦を終えた上杉景勝公は更なる奥州検地に備え一旦越後へ戻ることになりました。その帰途、直江兼続公は富士山麓の社で 曽我兄弟 の木像と出会います。逸話に心打たれた直江兼続公は、この木像を譲り受け実父樋口惣右衛門兼豊が城主を務める越後国安塚直峯(のうみね)に大きな御堂を建立し「神達明神(かんだつみょうじん)」と名付けて祀りました。その後木像は慶長3年の上杉家会津120万石移封により米沢へと移され現在に至っています。

米沢では直江兼続公の実家樋口家の屋敷内に建てられた「神達明神」。


越後国安塚直峯の地図     神達明神の地図



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上杉時代館の「直江兼続公」講座(本館)
米沢の聖徳太子尊は 大工の神様 (番匠 = 大工)として祀られています。これは聖徳太子が中国から建築の技術や道具を日本に導入したことに由来するもので、社が建つ山形県米沢市中央1丁目付近はかつて「地番匠町」と呼ばれ町人の大工が多く住んでいた町でした。





聖徳太子尊の地図



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上杉時代館の「直江兼続公」講座(本館)
西條天満神社(にしじょうてんまんじんじゃ)は、唯一現代の米沢に遺された米沢城三の丸の堀の土居跡上に建つ神社です。 五穀稲荷神社 が建つ三の丸の土居跡とともに大変貴重な歴史遺産となっています。商店街の駐車場を造成する際に撤去の話もあったようですが、結果として遺されることになりました。そのため開けた土地の中に土居跡と神社が建つという独特の景色をかもしだしています。







西條天満神社の地図



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上杉時代館の「直江兼続公」講座(本館)