道中酷い状況でした。
戦争は勿論経験ありませんが、想像すると空爆の後はあのような状況になるのだろうと思います。
まさか自分が生きている間にあのような惨状を目にするとは想像もしていませんでした。
ようやく実家にたどり着くことができ、地震後はじめて義父、義母、姪たちと会うことができました。
大丈夫だったということは事前に解っていましたがあらためて安心できました。
早速荷物をおろして短時間で何ができるか整理しました。
今後のライフラインの復旧予定や様々な申請に必要とするものを石巻市のホームページより調査しておいたものを説明し、男性陣は隣家から崩れてきた石塀等の撤去や屋敷周りのかたづけをしました。女性陣は家内の掃除等にあたりました。
実家は見た目は無事残っているようですが、よく見ると壁にはあらゆるところに亀裂がはしり、屋根も基礎もだいぶ損傷していました。
わずか数百メートルのところは津波で全壊したところばかりなのでまだ良いのでしょうがこれからが大変になります。
標高も下がってしまったようで、午後の満潮時近くには道路の側溝より海水があふれ出し、車の運転がままならなくなりそうなので心残りですが帰路につきました。
帰りに仙台のおばのところも廻ってきました。やはり津波の影響で床上1mくらいまで水が上がったそうです。
おじが「1000年に一度なんていう災害が起きたのだから、もう俺の生きている間はこのクラスの災害がないと信じて生きていくしかないよ」と前向きにいってました。
途中、仙台港や帰り道の若林区周辺もひどい状況でした・・・