昨日、石巻に行ったきました。少しずつですが確実にがれき等整理されてきている状況でした。
ただ先週来たときよりも道路状況が液状化の影響なのでしょうか、陥没している箇所が多くなっている状況で、非常に運転しずらかったです。
実家は余震の影響で建物の亀裂が大きくなってしまっていました。
現地で作業中も余震が何回かありました。こちらにいるときは大概が横揺れですが、あちらでは突き上げられるような縦揺れがありました。
私と息子は当然驚きましたが、実家の人間はリアクションが薄かったです。
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支援活動 4
本日、石巻に物資運びと実家のかたづけの手伝いに息子と行ってきます。
この度は友人より協力してもらい紳士服関係を届けてきます。
快く協力してもらえる友人達には感謝感謝です。
この度は友人より協力してもらい紳士服関係を届けてきます。
快く協力してもらえる友人達には感謝感謝です。
2011.04.09:やまだ測量登記事務所:[コンテンツ]
第65回入学式
本日、赤湯小学校にて入学式が挙行されました。
昨夜の地震でどうなるのかと心配しましたが無事行うことができました。
今年は87名の入学生ということではじめて100名をきりました。
87名の新入生が毎日元気に登校し、楽しい小学校生活を過ごせるよう祈ります。
また、本年度は震災による学区外児童が12名と転校生が9名ということでした。
例年にないことで学校サイドも対応に苦慮なされているようでした。
震災の影響が様々な形で出てきてますが落ち着いて対処していきたいものです。
昨夜の地震でどうなるのかと心配しましたが無事行うことができました。
今年は87名の入学生ということではじめて100名をきりました。
87名の新入生が毎日元気に登校し、楽しい小学校生活を過ごせるよう祈ります。
また、本年度は震災による学区外児童が12名と転校生が9名ということでした。
例年にないことで学校サイドも対応に苦慮なされているようでした。
震災の影響が様々な形で出てきてますが落ち着いて対処していきたいものです。
2011.04.08:やまだ測量登記事務所:[コンテンツ]
被災地の状況
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報道や先に現地に来た方より話は聞いていましたが、いざ自分の目で現地を見ると、あまりの状況に言葉がありませんでした。
たしかにそこにあったはずの住宅地や町そのものが壊滅していました。
先人の努力で造り上げられた町があの地震・津波で一瞬で壊されました。現在の復旧作業も自然の猛威に比べると非常に地味な作業になりますが、確実に復旧へ動き出しています。
我々にもできる事があるはずです。長期にわたり努力することが必要になりますが「日本の力」を信じたいと思います。
関係各位の努力で我々一般者も親戚のもとに駆けつけることができるようになりました。当日も皆さん必死に捜索・復旧作業等されていました。本当にありがたいことです。
たしかにそこにあったはずの住宅地や町そのものが壊滅していました。
先人の努力で造り上げられた町があの地震・津波で一瞬で壊されました。現在の復旧作業も自然の猛威に比べると非常に地味な作業になりますが、確実に復旧へ動き出しています。
我々にもできる事があるはずです。長期にわたり努力することが必要になりますが「日本の力」を信じたいと思います。
関係各位の努力で我々一般者も親戚のもとに駆けつけることができるようになりました。当日も皆さん必死に捜索・復旧作業等されていました。本当にありがたいことです。
2011.04.03:やまだ測量登記事務所:[コンテンツ]
支援活動 3
道中酷い状況でした。
戦争は勿論経験ありませんが、想像すると空爆の後はあのような状況になるのだろうと思います。
まさか自分が生きている間にあのような惨状を目にするとは想像もしていませんでした。
ようやく実家にたどり着くことができ、地震後はじめて義父、義母、姪たちと会うことができました。
大丈夫だったということは事前に解っていましたがあらためて安心できました。
早速荷物をおろして短時間で何ができるか整理しました。
今後のライフラインの復旧予定や様々な申請に必要とするものを石巻市のホームページより調査しておいたものを説明し、男性陣は隣家から崩れてきた石塀等の撤去や屋敷周りのかたづけをしました。女性陣は家内の掃除等にあたりました。
実家は見た目は無事残っているようですが、よく見ると壁にはあらゆるところに亀裂がはしり、屋根も基礎もだいぶ損傷していました。
わずか数百メートルのところは津波で全壊したところばかりなのでまだ良いのでしょうがこれからが大変になります。
標高も下がってしまったようで、午後の満潮時近くには道路の側溝より海水があふれ出し、車の運転がままならなくなりそうなので心残りですが帰路につきました。
帰りに仙台のおばのところも廻ってきました。やはり津波の影響で床上1mくらいまで水が上がったそうです。
おじが「1000年に一度なんていう災害が起きたのだから、もう俺の生きている間はこのクラスの災害がないと信じて生きていくしかないよ」と前向きにいってました。
途中、仙台港や帰り道の若林区周辺もひどい状況でした・・・
戦争は勿論経験ありませんが、想像すると空爆の後はあのような状況になるのだろうと思います。
まさか自分が生きている間にあのような惨状を目にするとは想像もしていませんでした。
ようやく実家にたどり着くことができ、地震後はじめて義父、義母、姪たちと会うことができました。
大丈夫だったということは事前に解っていましたがあらためて安心できました。
早速荷物をおろして短時間で何ができるか整理しました。
今後のライフラインの復旧予定や様々な申請に必要とするものを石巻市のホームページより調査しておいたものを説明し、男性陣は隣家から崩れてきた石塀等の撤去や屋敷周りのかたづけをしました。女性陣は家内の掃除等にあたりました。
実家は見た目は無事残っているようですが、よく見ると壁にはあらゆるところに亀裂がはしり、屋根も基礎もだいぶ損傷していました。
わずか数百メートルのところは津波で全壊したところばかりなのでまだ良いのでしょうがこれからが大変になります。
標高も下がってしまったようで、午後の満潮時近くには道路の側溝より海水があふれ出し、車の運転がままならなくなりそうなので心残りですが帰路につきました。
帰りに仙台のおばのところも廻ってきました。やはり津波の影響で床上1mくらいまで水が上がったそうです。
おじが「1000年に一度なんていう災害が起きたのだから、もう俺の生きている間はこのクラスの災害がないと信じて生きていくしかないよ」と前向きにいってました。
途中、仙台港や帰り道の若林区周辺もひどい状況でした・・・
2011.04.03:やまだ測量登記事務所:[コンテンツ]