FPのひとりごと

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先日 入浴でお世話になっている障害者施設で高校の同級生と会った



もう十年来の“障害者友達”だが 話をするのは久しぶりだった



顔は合わすのだが こっちが忙しすぎて 話をする暇がなかったのだ



同じ障害者1級だが 向うの方が大先輩で重度だ



なにせ20歳でジコってから もう40年の療養生活だし



同じ四肢麻痺でも 首から上と手首がほんのちょっと動くだけだ



現実的な問題として 施設以外の生活を選択する余地はまったくない



私の場合 障害の程度でいけば 施設への入所も十分可能なのではあるが



意地と自助努力でなんとかそれを阻止し 家で暮らし 仕事も続けている



でも彼にはその選択はできない



私も彼も 進行性の障害ではない



そこは一緒で 理論的には現状維持〜回復も望めるのであるが



決定的な違いが一つある



身体をコントロールできる領域の広さだ



私が内臓を含めて35%だとすると 彼は15%あるかないかだ



この差は大きい



私はその35%を使って リハビリや筋トレを欠かさないが



15%だったら 同じことをやっていく自信がない



人間だから 結果が出なけりゃ気持ちがなえる



ガンガンやってるつもりでいる私ですら 現状維持もおぼつかないだろう



だから 私から彼に『がんばれ!』なんてとても言えない



がんばってどうにかなるような障害ではないのだ







重度の障害者には 必ずと言っていいほどダークサイドがある



端的に言えば 厭世観だ



諦めなきゃいけないことが山ほどあれば たぶん誰でもそうなる



私にもあったし 今もどこかに潜んでいるのだろう



彼の厭世観がちょっと重たくなっていた



『死んだ方がまし』が『死にたい』に変わっていた



老化の加速が 無力感に拍車をかけているのだろう



人間 なにか夢がなければ生きられない いくつになってもだ



全身不随の還暦の独身の重度身障者に夢を見ろというのは酷だ



んっ 夢? あるじゃん i-PS細胞!



それは彼の唯一の希望だった



半年くらい前に その話をしたとき 彼の目は確かに輝いた



『その話を聞いて 生きていこうと思った』 と言った



『あと数年で 頚損での臨床実用化が始まるよ』



『ほんとかよ』 そう言いながら また目が輝いた



右手が動くだけでいい という彼に『歩こうぜっ!』とハッパをかけた



山中先生 お願いだから 生きてる間に何とかして!



オレが絶対ヤツの夢をつなぐから



とにかく とにかく 生きていなきゃだめだ



それは自分への檄でもある
2017.02.04:tnw:count(1,432):[メモ/その他]
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