FPのひとりごと

▼『ライフネット生命』ってどうなの?K

なにをいまさら  って?
まあ そうだよねー・・・
なんやかやと 散々引っ張っておいて
気がついてみたら人知れずフェードアウトのパターン
いつものことやん! と言われりゃその通りなんですが・・

不惑の語源となった『四十にして惑わず』は有名だが
『五十にして四十九の非を知る』は巷間あまり知られていない
四十代になって 世の中のことが全部お見通しだと思っていたら
まったくもってさにあらず! 見当違いも甚だしい!
五十代になっても まだまだペーペーなんだから
ちゃんと過去の非を悔いて 日々精進せにゃならんぞ!
とまあ こういう意味だと私なりに解釈しているが
なんだか 今の私のためにあるような教えではないか
残念なのは 非は知っていても悔い改められないところで
これがたぶん私が一生凡人の域を超えられない証なのであろう


で (この切り返しの速さだけは凡人の域を超えている?)

前回(って かなり昔)母親の葬式のことを最後にアップした
完全な喪主側での肉親の葬式というのを初めて経験したのだが
あれは ほんとになんともいえない経験だった

葬儀屋さんの担当者の方がすべてを取り仕切ってくれるのだが
なにせ経験がないので なにからなにまで全て言われるがままだ
母親の遺体が同じ空間にあるという非日常的な風景の中で
儀式の方だけは我々の意思とは無関係に淡々と進行していくのであるが
喪主側なのにイベントの参加者みたいなそんな感じがして落ち着かなかった
葬儀のタイムスケジュールがきっちり決まっているのは
そうでもしないと 遺族がずーっと悲しみにくれていて
物事が先に進まないし 精神的にまいってしまうからかもしれない
初七日を経て納骨をすます頃には気持ちも少しは落ち着いていた
葬儀というのは悲しむ儀式ではなく“諦める”儀式なんだと思った・・

って んっ? ライフネットは??
まあまあ “つないで”みただけでも一歩前進じゃないですか!?
ゴールデンウィークも近いし気長にねっ(意味不明のままゴング)
2011.04.23:tnw

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