FPのひとりごと
▼許されざること
大枠で言うと 私は無宗教のグループに属していると思われる
とはいっても まったくの無神論者ではない
朝は神棚と仏壇には必ず手を合わせる
神棚と仏壇があるうちならだいたいそうするんだろうから
私と宗教とのかかわりも その程度のもんだ
その程度のものが 宗教を語る資格はない それはよくわかっている
でも 神というか絶対的存在というものを意識せざるを得ないことが起こった
8年前のことだ
真冬(零下)の屋外で心神喪失となり 凍死しかけた
いや 一度死んだのかもしれない(意識的には生を諦めていた)
でもなぜか生きていた(生き返った?)
低体温(26℃)によって代謝が抑えられたおかげだと医者は言っていた
(仮死状態になり 無駄なエネルギーを使わずに済んだらしい)
結果的に大きな障害は残ったが 私は生きていた
これをもって すぐに『これは神が・・』とか言うつもりはないが
人の運命を決する事象に“なにかの意思”が働いているということ
それが崇高なものであるらしいことは身を以って理解した
人は日々生きているのだが 生かされてもいる
そんな感覚が私の中に確実にあり どんどん大きくなっている
生かされていることを自覚すること それが宗教の原点なのだろうか
そうだとしたら 宗教と人間のかかわりは必然なんだろう
それゆえ 私は宗教を肯定的に捉える
でも イスラム国と称するテロ集団が信じている宗教は否定する 断固
イスラム教を否定するのではない 彼の集団が信じている宗教をだ
神の名の下に 人を無差別・無慈悲に殺すなどということが
どんな理由があれ許されないことであることは 論を待たないが
その残虐非道な行為は宗教自体を冒涜している
多くの敬虔なイスラム教徒は胸を痛めていることでしょう
イスラム国はいずれ滅びるでしょうし 滅びるべきだと思います
でも 空爆を続ければ罪のない市民の死者は増える一方となるし
地上戦に突入したら 泥沼の戦闘となり 膨大な犠牲者が出るでしょう
イスラム国を叩けば 結果的にアサド政権を利することになり
シリアの本当の民主化はまた遠ざかってしまうし
行くも地獄 戻るも地獄
人が人の道に外れた愚かな行為をやめるのという当たり前のことをするのに
一体 何千年の時を要するというのか・・
神様もさぞお嘆きのことだろう
2015.02.04:tnw
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