FPのひとりごと
▼知る喜び? ってか
私は自宅のパソコンの横に
国語辞典と英和辞典を並べておいてある
以前は5kg以上はある『現代用語の基礎知識』までおいてあった
ネットでなんでもチェックできるのは頭でわかっているが
実際に この手で辞書を引かないと安心ができないタイプだ
やっぱり 根っからのアナログ人間だ
学生時代 ほとんど勉強はしなかったが
所属したゼミのレポートだけはがんばった
与えられたテーマについて1ヶ月ぐらいかけて準備した
だいたいにおいて 基礎ができていないから大変だ
基礎を理解してテーマにたどり着くだけで2・3冊の文献を必要とした
そこからテーマに向けて最低10冊以上の文献に当たりコピーをとり
それに 自分なりの理解の仕方と所見をひねり出してレポートする
文章にしてしまえば簡単だが これが異常にたいへんな作業であった
図書館に缶詰めで 山のような文献と辞書類に囲まれた作業だ
今みたいにネットがあれば 自分なりのストーリーが簡単に描けるが
まずは ストーリー構成の原材料に出会うまでが一苦労だった
パズルみたいに一つ一つのピースをああだこうだと組み合わせては
やっとのことでストーリーのアウトラインを作り上げる
それを元に 今度はストーリーの肉付けをしていく
その中で なにか疑問にぶち当たると その度に何回も途中下車だ
そんなこんなでレポートが出来上がったときの喜びったらない
最後は だいたい二晩ぐらい徹夜となるが 疲労より充実感が大きい
ネットは便利だ
ネットなしの生活は もう考えられない
仕事でもプライベートでも 疑問が瞬時に解決する
“知る”ということに関するスピードは昔と比較にならない
しかし
あくまで私の場合限定であるが
ネットで得た知識と言うのは浅薄だ
検索して それらしいのをザザッと見て『フーン』
それで すべてがわかってしまったような錯覚をしてしまう
昔えらい苦労したレポートの概要は いまでも忘れないが
ネットでスピーディーに(=インスタントに)得た知識はすぐ忘れてしまう
たぶん そこに知ることの苦労と それに比例する喜びがないからだ
世の中どんどん便利になっていく一方で 失うものもあるんだねー
2010.10.21:tnw
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