FPのひとりごと

▼脱サラ物語E

自分の一番の財産は人脈だ
障害者になって大好きな営業に出られなくなっても
今まで築いてきた人脈だけで営業の実績を上げている
もちろん新しい人脈の開拓にも余念はないが・・

自分には上司として後進を育てる能力がないようだ
やる気は満々で いままで蓄積したノウハウのすべてを
汗と涙と数々の屍(失敗)を超えて体得した営業のノウハウのすべてを
教えてあげたい気持ちはあふれているのだが・・・

仕事に向かうベクトルが一緒なら なんでも教えてあげられるし
ベクトルの方向(三次元)が違っても“勢い”があれば一緒にやれる
でも 上昇角度がゆるくて パワー不足の場合は手の出しようを知らない
ベクトルの上昇角度やパワーは教えてどうなるものではないからだ
仮に“気合”を注入してレベルを合わせても 所詮それは“借り物”
逆に『おぬし なかなかのものよのー』があればトコトン付き合っていく
そういう“お付き合い”の集積が 我が人脈となっていく


外資系I生命のS君は 我が人脈の一員であり“恩人”でもある
十数年前 I生命は中小企業の事業保険に特化して営業していた
販売チャネルは主に税理士の方々で 税理士個人を代理店にしていた
私が当時懇意にしていた税理士は 東北一の実績を誇っていた
彼にできるのなら という強烈なジェラシーが頭をもたげた
で 前の会社の時 I生命に電話して担当者に来てもらうことにした
やってきたのはS君という山形市出身の営業担当者であった
山形弁が抜けない朴訥な男であったが 強烈な上昇志向があった
営業成績に対する渇望感・ハングリーさは自分にそっくりだった
当然のようにウマが合い キャンペーンもいきなり入賞した

脱サラしたとき 生保はI社を含め3社ではじめたが
最初はT社中心の営業を考えていた

ある日 幸運は向こうからやってきた・・



2010.02.27:tnw

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