FPのひとりごと

▼“矢切の渡し”と私・・A

私 演歌が大きらいだ

子供の頃 周りは演歌だらけだったから
その反動で演歌がきらいになったんだと思うが
親が好きだったのが 三波春夫や都はるみ ではしゃーない
8トラック(懐かしい!)カラオケが流行りだした頃
入ってる曲の9割以上は歌謡曲で そのまた7割は演歌だった

『歌え!』と言われても 選びようがなかった 当時は
なにがいやかって 無理無理演歌を歌わされたり
親父どもの歌う演歌の手拍子(揉み手)をさせられること
これほど やなもんはなかった
それが・・

話は大きく変わるが
学生時代 ストリップ劇場には えらいお世話になった
純粋に動物学的な興味?を満たす目的も勿論あったが
経験を積んでくると?ダンサーや観客の人生模様の観察
これもショー以上に楽しいものになってくる
通だねー!(って オマエ学生だろーが  ヘイさようで・・)

ダンサーは地方の劇場を決まったサイクルで旅回りする
ダンサーには男のマネージャー(ヒモ)がいて だいたいがソッチ系だった
一度 開演前に裸足で逃げるダンサーを追いかけるヒモを見たことがあるが
まるでヤクザ映画の一場面を観ているような感じだった
ここは『昭和枯れすすき』の描く世界そのものであった

ダンサーは自分が踊るときのBGMを自分で選曲する
当時は若い子もそうでない方もBGMはほとんど演歌だった
ある時から なぜか 『矢切の渡し』が急に多くなった
多いときだと10人中5人ぐらいが『矢切の渡し』だった
『矢切の渡し』は後に“細川たかし”が歌って有名になったが
ちあきなおみ の『矢切の渡し』がこの世界では圧倒的にポピュラーだった

親父どもの熱気ムンムンのストリップ劇場で
それぞれの過去を背負ったストリッパーが
人生に似合わぬまばゆいスポットライトを浴びて踊っている
ステージを降りれば愛憎相半ばするヒモとの旅回り

ちあきなおみ の『矢切の渡し』

彼女らの世界に これほどフィットする歌はなかったんであろう
2009.11.16:tnw

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