FPのひとりごと
▼ごく私的な好き嫌いC
江川卓
作新学院時代“怪物くん”と言われた投手
まだスピードガンがなかった時代に
甲子園での快投をTVで見ていたが
そのストレートはめちゃくちゃ速かった
まちがいなく150km以上は出ていたと思う
重心の低いフォームから投じられるストレートは
バッターの手元でホップするのが画面を通してわかった
阪急の山口高志の”剛速球”も確かに凄かったが
ストレートの“キレ”とスピードならまちがいなく
歴代ナンバー1“だった”と思う 高校時代の江川は
あのまま高卒後のドラフトで阪急に入団していたら
そして特別でなくとも普通にトレーニングしていたら
球史に残る大投手になっていたことはまちがいない
そのぐらいの逸材・大器“だった”
松阪も確かに大器ではあったが当時の江川の比ではない
入団を拒否し大学生になった彼は すっかり別人になっていた
法政大学時代の江川は もう“手抜き”を覚えていた
高校時代の財産と“顔”だけで投げているような気がした
投球フォームが間延びしてたしダイナミックさがなくなっていた
六大学のレベルは それでも勝てるレベルだった
その後顕在化してくる江川の“いやな”面が出てきていた頃だ
大学4年のときのドラフトでクラウンライターライオンズに
1位指名されるが これを拒否してアメリカ留学
既に緩んでいた精神面がこれで完全に弛んでしまう
ここが彼の野球人生ににとって最後の分岐点だったかもしれない
作新学院で彼が力投したのは 打線が弱くて
自分が相手打線を押さえないと勝てなかったから
当時のライオンズも似たようなものだったから
もし入団していたら 自分をレベルアップせざるをえず
完封・完投が増え勝利数も増え 5年のブランクを
帳消しにしていたかもしれない
彼は基本的に努力をせずに楽に生きたいタイプの人間
だから打線が強力で人気があって再就職先に苦労しない巨人に固執した
空白の一日だかなんだか知らんが ごり押ししてまで巨人に入団した
でも これがかえって自分の野球人生の寿命を縮め成績を悪くした
誤解を恐れずにいえば 高校時代を10とすればプロでは7だった
彼の野球におけるパフォーマンスは
プロでの彼は一流にはなれなかった あえて言えば1.5流!
弛んだ体型 張りのない筋肉 キレのないフォーム
それでも135勝できたのは 天賦の才能と高校時代の財産のおかげ
野茂は好きな野球を貫くために単身でメジャーに挑戦した
敢えて茨の道を選び ボロボロになるまで挑戦しつづけた
江川は挑戦する前に先を考え楽な方を選ぶ すべて計算ずく
自分で肩が限界と言って辞めたが はたして本当だったのか
野茂はメジャーでトルネード旋風を巻き起こし 伝説になった
江川 江川? 野球人としての評価は芳しくない 当り前だ
好きか嫌いかって そんなん言わなくてもわかるでしょ
2009.09.18:tnw
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