FPのひとりごと

▼貧乏の楽しみ@

私が生まれたのが 1957年
終戦後12年目に生まれたことになる
記憶が鮮明に残っているわけではないが
生活のレベルは著しく低かったような気がする
うちだけではなく よそんちもそうだった
どこんちもごく普通に貧乏だったから
自分ちだけが貧乏だとは思ってもいなかった

物は徹底的になかった
学校から帰ってきても
“おやつ”なんて気の利いたものはない
『腹へった!』と母親に言うと
冷や飯で味噌おにぎりをにぎってくれたが
これが たまらずに うまかった が
こんな日は盆正月の頻度ぐらいしかない
あとは 自分で調達した
木になるリンゴ・栗・柿(甘柿)・あんず・なつめ・・・
畑のトマト・キューリ・・・
一番新鮮なところを新鮮なままいただいた
だいたいは顔馴染のおじさん(おばさん)のところで
じーーっと作物を見ていると
『もってけ!』 となったが
“事後承認”のこともかなりあった
屋敷の中まで入って栗拾いして
そこんちのおばあちゃんに追っかけられたこともあった

日が暮れるまで外で遊んでたが
家の中で遊ぶのは雨降りのときぐらいで
ほとんどは外で泥まみれで遊んでいた
“道具”を使うのは野球・メンコ・コマぐらいで
あとは体力勝負の遊びか“地面を使って”遊んだ
毎日くたくたで バタンキューだったが楽しい毎日だった

一人で無言でゲームをしている子供を見ていると
我々の頃は 貧乏で物がなくて逆に幸せだったんだなー
と つくづく思う

2009.08.01:tnw

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