FPのひとりごと

▼偉人たちのリングC

三島由紀夫

昔 まだ若かりし頃は
この人の行動やメンタリティーを
まったくもって理解することができなかった
“なにもなければ”川端康成より先に
ノーベル文学賞を獲得してたのではないだろうか
まともに読んだことがあるのは『潮騒』くらいなんで
えらそうなことはとても言えませんが・・・
なのに
ボディービルで“ムキムキ”になってみたり
(ま このへんは理解の範疇にあるにしても)
“楯の会”などという武器を持たない軍隊を組織し
どんどんどんどん“右傾化”“先鋭化”していって
最後は自衛隊市ヶ谷駐屯地で割腹自殺

左翼系の若者にこれを理解しろと言われたって
そりゃーまー絶対といっていいほど無理な話であった
当時は“右翼”というだけで嫌悪の対象になっていた


時は流れ 三島が自刃した45歳をいつしか超えていた
気付いてみれば 自分もボディービルではないが
自分の筋肉をつくるのに 異常なほど固執していた
目指すのは ボクサーの肉体で“闘う”カラダがほしかった
『からだのなかから不随意筋をなくそう・・・』という三島の考え
よーくわかるし 目指していたのはそこであった

でも なぜ彼が右傾化していったのかは理解できなかった
この対論集のこの表現に出会うまでは・・

『・・・ぼくは吉田松陰の「汝は功業をなせ、我は忠義をなす」
 という言葉がすきなんだ。・・・ぼくは忠義をするつもり
 だから政治家にならないよ。ところがいま日本じゃ忠義と
 いうのは左翼しかないように思われている。・・・
 左翼思想というのはぜんぜん功業がないから、ますます
 無効性の象徴になってきたんだ。だから青年が忠義しようと
 思うと、左翼になるほかはないんだよ。・・・左翼以外だって
 忠義はあるんだぞってことを、一生懸命にいっているわけだよ。
 忠義って言う点じゃ新左翼だって好きだよ。彼らだって忠義を
 しようと思ってるんだからね。だけど、左翼だけしか忠義が
 ないと思うことないじゃないか。それはエロスのなかにも忠義が
 あるだろう。反政治的な行動のなかにも忠義があるだろう。
 ただぼくは功業だけはしたくないという気は猛烈に強い。』 

目から鱗というのはこういうことをいうのであろう
あの奇異に映る三島の行動が理解できたし
自分の若いときの忠義に燃えていたメンタリティーは
実は三島と同じ土壌に根を張っていたんだ と気付かせてくれた


凡人っていうのはやだねー とつくづく思う
百年たったって理解できないものがいっぱいあるんだろうねー
百年もたったらもう死んでるって・・・


      ふーーっ

 



2009.07.05:tnw

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