FPのひとりごと
▼偉人たちのリングB
寺山修司と三島由紀夫の対論のテーマが
抵抗論−エロスは抵抗の拠点になりうるか って あなた!
こんなもん どないに理解せい言うねん!
エロスって“エロ親父”のエロでいいの!
なんだか“ス”がついただけで文学的な表現に見えてしまう
これは後に寺山修司と対論した野坂昭如もご同様のようで
『そのエロスとかエロシチズムは、ほんとうにわかんない。エロ映画っていう
とよくわかるんだけどね。 〜中略〜 いやオ××コってたらよくわかるん
ですよ。・・・・・・・・』(原文のまま)
こんな難解なテーマで二人の偉人がまじめに対論をしている
寺山と三島の育ってきた環境と このテーマに対するアプローチは
まるで白と黒のように鮮やかな違いを見せる のに
お互いの考えを理解というより包含しながら対論は更に深まりを見せていく
寺山はエロスを含む秩序(道徳)というものに対しなんの意味も求めない
それに対し 三島は厳格な秩序(形/形式)を自分にも他人にも求めていく
一見どこにも接点がないように見えるが
実は視点(発送の原点)の違いだけで コアな部分には重なりがあったりする
寺山は子供の頃 三島にファンレターを書いていたんだそうです
これこそが 欠乏にたいする渇望−一種のエロスだったりして・・
三島が直球のみ投げるのに対し 寺山はナックルで平然と返球する
三島はそれを何事もなくキャッチし またきれいな回転の直球で返す
この対論が行われたのは1970年7月
互いに新左翼の理論的組織的破綻を嘆きながらも
デモで赤軍派が時計を合わせて出発したことに感心をしている
結局 最初のテーマがどういう結論に至ったのかは
低レベルの私にはいつまでたっても理解できないが
何回読み直しても そのたびに新しい発見のある対論
もう二度と実現することのない至高の異空間であるだけに
そこにちょっとだけでも触れられるだけで十分至福の時を味わえる
2009.06.27:tnw
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