なあまずノート
▼(17)飯豊町 小屋の草木塔
草木塔はいよいよ飯豊町中津川に初めて現れる。
田沢から小屋集落へは、国道121号を戸長里集落から県道を玉庭方面に向かい、上和合からもう集落がなくなった温井を通り権平峠を越えると、距離的にはずいぶん近い位置にある。
合併前の中津川は、昭和33年に飯豊町に合併する前は、田沢が所属する三沢村と同じ南置賜郡だったのだ。
山林業や生活圏という点では、道路事情を考えてもこちらに近かったことは容易に想像できる。
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峠を小屋側に下る途中、木々の間から小屋集落の奥の方が望める。
大学生時代(かれこれ30年以上昔^^;)、50ccのバイクで峠を越えた時、ここから同じ風景を見て、あまりの美しい山里の風景に息をのんだ。
今も美しいのだが、比べると家がなくなり、田んぼが放置されて荒れてしまっているのがわかる。
人が住んでいてこその山里なんだと、改めて感じる。
さて、小屋集落に入り旧小学校舎から道を戻っていくと、栂峯山大神の鳥居が建っている場所の一角に石塔群がある。
その中にある。
碑面には「草木塔」と「文政十三年 三月十七日」と刻まれている。
川西町玉庭高野沢の草木塔からちょうど一年後の建立ということになる。
文字や字の配りがよく似ている。
どちら側を経てこの地に建てられることになったものか。
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鳥居は標高約1500mの栂峯を向いて立っている。
ほぼ山頂近くに神社が祀ってあり、そちらを向いてここは遥拝する場所なのだ。
じつは、私もまだ上ったことがない。
ここから見て、栂峯のほぼ裏側が大荒沢不動尊なのである。
栂峯神社は、毎年9月8日がお祭りで、地域の方々で現在も道刈りをなさっているとのこと。
大荒沢不動尊も9月7・8日がお祭りで、峯を挟んで両側でお祭りをしていることになるのだ。
玉庭の高野沢から菅沼峠を越えて小屋へ繋がるという道路の関係と、山一つ隔てて田沢と人がつながっていたという関係性から、小屋に飯豊町最初の草木塔が建ったという意義が見出せそうな気がするのだけれどなぁ。
何か記録が出てこないものだろうか。
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栂峯を眺めるように建っているこの草木塔は、1990年に開催された大阪花博(国際花とみどりの博覧会)の会場に展示された。
その経緯はよくわからぬけれど、高さ70センチ余りの小ぶりな草木塔は、多くの人に「草木塔」の存在を知られるきっかけになったようである。
画像 (小 中 大)
2011.06.10:あら
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