なあまずノート

▼流浪

福島県立医大病院の周囲は、桜の花が盛りから葉桜に変わろうとしていた。

本来は、3月中旬に来るはずだったけれども、震災で、外来が全部休止してしまったのだった。
開いていても、ガソリンのことを考えると、難しかったけどね。
ドクターヘリも常備してあり、高度救命救急などに対応してきたようだ。

4月に入ってからは、通常の外来も診療をしており、今は、そういった物々しさはない。
ただし、駐車場のゲートは開放されており、自由になっている。

母の通っている、眼科は、今年で通院するようになって4年目なのだが、こんなに患者さんが少ないのは初めてだったと思う。
それでも、診察を終えたのは17:30分をまわっており、会計等を終えて病院を出たのは18:30頃になってしまった。

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待っている間、浪江町から福島市に引っ越して暮らしている友人と、当日からの状況を話していた。
浪江町には原発はないのだけれど、近隣の双葉町・大熊町・楢葉町・富岡町に原発がある。
本当に距離的にはわずかのところに住んでいた。
浪江町は、海辺からかなり山の中まで細長く大きい町でもあり、原発には基本的には反対の姿勢をとってきているようなのだ。
しかしながら、町民の中には東京電力に務めている人も少なくなく、下請の仕事も多く、間接的には恩恵を受けてきたことは間違いないとのこと。

友人は古くからのお寺の息子で、伽藍の中や境内の石塔類、墓地塔、そうとうな被害を受けたが、幸い、建物そのものと家族は助かった。
津波は、お寺から海側の約五百メートルまで来ていた。
友達の家に遊びにっていた中学生の息子に、連絡がとれたのは三日後、だったそうな。

他の町民同様、帰ることもできず、お寺や住まいを片づけることもできない。
いつ戻ることができるのか、全く見通しがつかない。

子どもたちは、そうとうな心の傷を受けている。
自分も、今まで見たこともないほど、とりとめない夢を観て、ぐったりしている。

それでも、こうして、親せきのつてで福島市内の民家を借りて住んでいられるだけ、いい方だと言う。

明後日、双葉町の高校に通っていた娘は、福島市内の高校の編入試験があるとのこと。

まだましな方だという彼も、私には流浪する民のように感じる。
「とにかく元気でまた会うべ。小野川の温泉に行くから。」「んだな。」と言って別れてきた。


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2011.04.21:あら

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