なあまずノート
▼危機への対応
週刊文春 3月24日号
東北から関東までの太平洋沿岸を主に大災害となった大震災の第一報。
東日本大震災「暴走ドミノ」被曝の真相
奇跡の生還43人が語る「生死を分けた瞬間」
この大きな特集の目次ページが、逆になっているあたりに、今週の混乱状況が見てとれる。
モノクロ写真が伝える「海に呑みこまれた町 東日本大震災」は、廃墟になった町であった所と、そこ残されたものや人の姿から、あり得ないような、災害であったことがつたわってくる。
毎日のように、テレビでラジオで新聞で、災害の情報やその周辺の状況などが。これでもかっていうほど伝えられてくる。
原発の災害による事故に関しては、個々のところ逐一、伝えられてくる。
情報は取捨選択しなければならない。
バラエティ的なニュースからは人の心情的な部分が伝えられるが、全体が見えにくい。
官房長官や原子力安全保安院、東電などの記者会見は、少し裏を見ながら情報を考えなければならない。
現場からの、中継というものは生の姿が見えるが、送り手の様子と周囲の空気が微妙に違うことを感じなければならない。
なので、自分としては、一定のチャンネルの情報番組以外はあまり見ないようにしながら、「ああなのか、こうなのか」頭の中でよく回らないながら考えてみることにしている。
週刊誌はどうなのか。
やはり、即時的な情報として出たものを、分析をしてほしい。
今週もの場合、原発に関する対応の遅れを分析している。
未曾有の大災害ゆえ、大変な混乱を起こすのは考えられること。
その中で、いかに対応を早く的確にしていけるかが検証されなければならない。
まだまだ、事態はこれから動くであろう。
とりあえず、「政局」というものは一旦脇に置いてくれないかなぁと切に思うのである。
画像 (小 中 大)
2011.03.21:あら
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