なあまずノート
▼避難
浪江町に住む友人と、ようやく連絡がとれた。
お寺の住職を務めている友人一家は、福島市に避難してきていたのだった。
やはり電話がつながりにくいということで、比較的繋がりやすいという早朝6時30分ごろ、固定電話にかけてよこしたのだ。
お寺の建物は大丈夫であったが、お堂内は散乱し、境内の石塔など立っているものはほとんど倒壊の有様だったという。
それを片づける暇もなく避難命令が出たため、どうしようもなく移動したとのこと。
海端の檀家さんに犠牲者が出ているのだが、どうにもしようがないという、辛い状況であったとのこと。
学生時代の友人である彼からは、近くに原発があるという不安をよく口にしていた。
それがまさに「現実のものとなってしまった。」ととてもがっかりして話していた。
さて、そちらからの避難者は、わが町内にも親せきを頼って来ているご家族がある。
米沢や川西町や高畠町にも大勢き始めているようである。
友人も含め、この米沢もガソリンや食料品が不足しているということに、かなり驚いていた。
避難、とはいえ先の見えない原発の事故の問題だけに、思いはまるで彷徨える人のようである。
2011.03.15:あら
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