なあまずノート
▼雪道を歩きながら
3月8日(火)、晴れ。
少々雪が積もっていたものの、晴れ上がっていい天気。
大荒沢の不動堂の登拝日で、その他、ちょっこら忙しい一日。
朝食をとって、大荒沢に向かい、スノーシューに履き替えてお堂へ。
さすがに、新雪はあるものの、もうさほどぬかってしまうような雪質ではない。
さくさくと雪面を歩くことができて、10分も歩いてお堂に到着。
いろんな動物たちの足跡、それから、山の木を切ったところは小さな雪崩が起きている。
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左側は高い崖になっていて沢に落ちる。
右側の山の上方は、作業道路を切り木を伐ったため、なだれが起きやすくなった。
それでも、今のところは小さなものしかないので、問題はなし。
本当に危険なのは、お堂の先で、そうとう大きな雪崩が来て、お堂に被害があったことがあった。
これも、じつは山の木の伐採にあった。
山主には、たいへん山に詳しいということで、かなり話を聞かされたものだが、この件については口をつぐんでいた。そうしているうちに、亡くなられてしまった。
作業道を切って木を切るのは今はしようがないのだろう。
ならば、作業が終わってからの始末をちゃんとしてもらわないと、大雨などが降って、あちこちで土砂が沢に押したり、林道をふさいだりして、たいへんなことなのだ。
そんなことを思い出しながら歩いた。
お堂からお寺に戻り、すぐに四十九日の供養に檀家さんへ。
二十代で亡くなられた方のご供養。
「とうとう仏さまになってしまったがぁ」と、ご家族とお茶を飲み、諸々お話をしてきた。
またお寺に戻り、ご近所のお宅にご祈祷に。
お婆さんが亡くなってから、祥月命日を過ぎ、一区切りがついたということで、家の神様のご祈祷であった。
ここでも、積もる話があり、夕食を戴いて帰宅。
人の生き死ににかかわり、その節目に当たって、いろいろと思いがあるものだ。
もちろん、区切りの日だからと言って心の整理が全てつくものではないのだろうけれどもね。
それでも、日々を生きていくには、こうした節目を設けることによって前に進むことも必要なのかもしれぬ。
画像 (小 中 大)
2011.03.09:あら
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