なあまずノート
▼想い
3月2日(水)、朝はうっすらと雪。
一旦薄日が射したものの、昼頃から出し晴れのようになって、やがて吹雪。
今夜から明日は雪になりそう。
今日は午後から、同地区のお寺の檀家の方が亡くなられて伴僧を勤めさせていただきました。
田沢地区は米沢市街地から国道121号を西に向かって、矢子を過ぎたところから大峠トンネルまでの18kmの国道沿線沿いに、約200戸が細長く集落を作っている。
奥山に向かえば向かうほど、過疎化していて、道の駅田沢より奥には、かつて100戸400人以上住んでいた。
唱和40年代から徐々にその傾向が始まり、平成4年に大峠トンネルが完成し、道路はよくなったのだが、そこに住んでいるのはわずか10戸余り、30人ぐらいになってしまった。
今日亡くなられた方も、国道から沢筋に入った、冬になると除雪されない道を苦労して出てこなければならない辺地に住んでおられた。
私が昭和59年に田沢に戻ってきた頃には、まだ住んでいらして、冬にそのお宅に尋ねて行くのはかなり難儀であった。
そうした、雪の深い場所に多くの方々が昔から住んでいたのだ。
不便でたいへんな暮らしをしていながら、なんともいえぬ余裕があったような気がしてならない。
もちろん、今そうした生活に戻れと言っても、無理だろうけど。
一週間ほど前も元気で電話してきた、そのお婆ちゃんは、朝食の準備をしているときに、心臓の発作を起こして亡くなられたとのこと。
90歳になっていらしたと聞いて驚いた。
葬儀が行われたセレモニーホールの帰り道、斜平山(なでらやま)が雪化粧していた。
入田沢はこの山のずっと奥の方角にある。
画像 (小 中 大)
2011.03.02:あら
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