なあまずノート

▼(65)『こころの時代に』 私の精神分析入門

木村治美:著(文春文庫 1986年文庫版発行)

1986年(昭和61年)12月に読んでいる。
 扱うテーマが、目で見ることができない 心 なのだが、「果たしてノンフィクションのテーマとして書くことができるのだろうか?」と冒頭で述べている。
 精神分析が医学的に、また学問として構成された分野であることを知らなかった。
 誰でもが人の心を読んだり分析したりしている、ということが精神分析というものだと考えていた。まして、精神分析の方法が確立され、それを仕事としている人がいることも知らなかった。
 そういえば、映画(洋画)でそういうシーンがあったなぁと思いだした。
 人間の無意識で為されること、というか無意識の部分を明らかにするということ、ある意味では恐ろしい感じがする。というのは、私の気持ちとして、意に反してであろう(おそらく)行為がなぜ起こるのだろうかと不思議に思っていたし、或いは、自分がなぜこんなことをするのだろうという、諦めの心を持って、私自身を眺めている、ということがある。
無意識の世界を解明すると、何が出てくるのかわからないという、自分の恥部をさらけ出すという感じがする。
 しかし、逆に興味を感ずるというのも正直なところでもある。
 どの部分とどの部分で関連しているのか。
 因と縁の問題ににも深くかかわりがあるのではないかと思ったりしている。

 (昭和61年の読書ノートから)

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2011.01.24:あら

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