なあまずノート

▼(14)南陽市荻の草木供養塔

いよいよ南陽市に草木供養塔を訪ねる。

宮内から小滝街道を北上し南陽市立荻小学校に辿り着く。現在のバイパスから荻小学校に向かい、正門のすぐ右脇にしっかりと建っている。
これはおそらく、もともとの建立地は別だったんだろうと推測できる。

ほぼ1mぐらいのゴツッとした自然石なのだが、どうもてっぺんが真横に割れてしまっているようだ。
ちょうど、草かんむりの横一本のあたりから上が無い。

表面には、「草木供養塔」ち刻まれており、その右側に文政七甲申年、左側には八月吉祥日、続けて 五左衛門とある。
文政七年は西暦1824年で、口田沢の二基から一年後の建立だ。
現在の南陽市域で初めて建てられたものになる。
そして、建立者が個人の名前で単独で掘られているのもここが最初なのではなかろうか。

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草木供養塔の脇に、「南無阿弥陀佛」と刻まれた石塔が並んで建てられている。
これは…、どうなんだろう?!これは、やはり、草木供養塔とは別に違うところにあったのではないのかなぁ。

地元の、石塔などを研究されている方にお話しを聞いてみなければならない。元の場所、草木供養塔に関して伝えられていることなど、ここに伝播していった経緯も手がかりがあるだろう。

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南陽市の有形民俗文化財に指定されているという看板が立っている。
市の教育委員会にも資料があるだろうから、手がかりがつかめるかも。

それにしても、ここは小学校の前で手入れもなされており、子どもや多くの人たちの目に触れる場所にあっていいなぁ。

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この地域も、山の仕事と関わってきた地域だろうと、周囲の様子から察することができる。小滝街道をさらに北上すると、水林もあるし、そこらへんとの関わりはなにかあるのだろうか。

荻小学校かのすぐ裏の道へ入ってゆき、「置賜大橋」という山の中の橋に興味をひかれ、林道をドンドンと車で走って行ったら、たいへんな山の中まで行ってしまった。
林道を通って、漆山や長井の五十川までつながる。

草木供養塔と山の仕事の関わりという点で、いずれ調べてみたいものだ。



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2010.12.24:あら

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