なあまずノート

▼(13)神原の草木供養塔

米沢市大字神原地内の、勝軍地蔵尊のお堂の境内に建っている。
様々な石塔や祠が寄り集まっている場所で、その石塔群の中にそれほど目立たない状態になっている。

この画像は鮮明でわかりにくいともので、もうしわけない。
「草木供養塔」を中心に、向かって右側に「文政六未丙」、左側に「八月八日  神原」と刻まれている。
実際に石塔を観ると、しっかりとした文字だ。

文政八年は1823年。
この前に訪ねた下中原の草木塔と同じ年であり、しかも八月で、こちらは八日と日にちも入っている。

下中原と神原の石塔は、2kmも離れていない場所にある。
建立日が下中原の方は書いていないので、どちらが先に建ったものなのかはわからない。

しかし、同じ年月に建ったにもかかわらず、神原の方は「供養」の字が入っている。
建立の経過をみれば、神原の方が早いと考えるのが自然ではなかろうか。
石の大きさもほぼ同じで、80pぐらい。
文字の書体もなんと似ているような気がする。

神原は、現在もこの地は大字神原である。

建立時はおそらく神原村であったろう。
これは、建立者とみるのが普通だろう。

[画像]

このお地蔵さまは、神原地域の鎮守様になっており、4月23・24日の春祭りと7月23日・24日の夏祭りを行っている。
境内には、稲荷大明神の祠や、湯殿山や水神塔、庚申塔、羅漢像群、大日尊などの様々な石塔、そして、伊藤氏生碑というこの地域の傑出した人物を讃える石碑もあり、一つ一つ調査をして修復できないものかと思うのだが。

[画像]
お堂前を旧国道121号が走り、その下は小樽川の清流を望み、向かい側の集落、彼方には大荒沢などの山並みが広がる、景色の良い場所に建っている。
新しい国道121号がお堂の後ろ側に切り開かれ、今は相当な交通量がある。
その新旧国道の分岐点のように見える。

神原の草木塔は、草木塔の伝播の上でも分岐点にあるのではなかろうか、そんな想像もしているところだ。  
画像 ( )
2010.12.21:あら

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