なあまずノート

▼H川西町大舟の草木供養塔

9番目に古い草木塔は、川西町に戻る。
川西町で2番目に古い。
そして、米沢市簗沢糸畔の草木供羪塔と同年の、1816年8(文化13年)の8月吉祥日と塔の左側面に刻まれている。
ちなみに、糸畔は同年4月7日である。

場所は、大舟から玉庭に超える新蔵峠の旧道沿いと、地元の方からお聞きした。
現在の新蔵峠は、東沢小学校の脇を通るが、旧道はそこから南へ1kmぐらい田沢側である。
昔の道型は私たちには解らない。
戦前生まれの東沢の方に「玉庭中学校の東沢分校に通っていて、一週間に一度は必ずこの新蔵峠の旧道を本校に通ったものだ」とお聞きした。
地元の方にお聞きすれば、昔の道はまだ解ると思われる

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この草木供養塔も元の場所から移動したものと思われる。
庚申塔が5〜6基、湯殿山塔などなど石塔が集まってきている。
耕地整理で移動したということなので、元の位置を知る人が地元にいらっしゃるだろう。

建立の由縁はわからない。

古いほうから数えて、初めて凝灰岩でできた石塔で、しかも墓石型の塔になっている。
凝灰岩の出所は、専門家に分析してもらえば、ある程度解るのではなかろうか。

掘られている文字が非常にしっかりした力強い字だ。
玉庭のとは全く異なっている。

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道端からはお地蔵さんのお堂だろうか、田舎ののどかなたたずまいがある。

見えはしないが、ちょうどこのお堂の上方に草木供養塔は建っている。
画像 ( )
2010.11.19:あら

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