なあまずノート
▼8 米沢市簗沢 糸畔の「草木供養塔」
糸畔地区は現在の三沢地区の、通称 東沢を山の方に遡って行ったところにある集落で、綱木川ダムの手前にある集落と言った方が解りやすいかもしれない。
元々の集落から、ダムの堤体が見える。
そこには、もともと烏川集落があったがダムの底になるため、移転していった。
この糸畔集落も、多くの家屋があり、この下手の蟹屋敷集落も含めて、三沢東部小学校の分校「糸畔分校」があった。
現在は、4軒の家屋が残っているのだが、住んでいらっしゃるのは3戸ではないだろうか。
その、もともとの集落の真ん中辺の道端に建っていた。
道路改修のため移転したということだが、元々の場所については、地元の方にお話をきいてみたい。
高さ1mを超える格好の良い石塔だが、碑面はだいぶ摩耗している。
上に梵字で(ウン)があり、その下に「草木供羪塔」と刻まれている。
資料には、文化13年(1816)4月7日とある。
田沢と玉庭そして初めて簗沢地区に登場した。
隣には飯豊山の石塔がある。
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今はちょっと草が生えているが、誰かの手によって手入れされている感がある。
後ろの山では、木を伐採しているところだった。
簗沢はもともと、田沢地区と同じ旧三沢村である。
田沢から玉庭と向かう方向は違うが、同じ村であり山続きで、交流の深い場所である。
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集落の上手には、立派な神社が守られておりました。
何神社かは確認できず(なにしろ人がいない^^;)
今は、ダムで昔の周囲と様子は全く変わってしまった。
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ダムから糸畔集落を眺めてみました。
画像 (小 中 大)
2010.11.16:あら
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