なあまずノート

▼F 米沢市入田沢 戸長里の草木供養塔

田沢地区の戸長里地内の旧道側、山側にそのほかの多くの石塔群の前の方に建っている。

地滑り地帯になっていることと、このあたりは田沢でもかなり雪の多い地域ということもあり、前にのめってしまったりしていたものを、地域の方々で修復をされている。

いまは、コンクリートで固めたので、しばらくは大きく動かないものと思われる。

ただし、美観という点では、残念ながら草木塔らしい雰囲気が損なわれてしまっているようだ。
今後の修復時には、ぜひ文化財保護の専門家にアドバイスをしてもらって、取り組んでもらいたいものだ。

[画像]

この草木塔供養塔は文化4年(1807年)8月8日建立と刻まれている。
草木供養塔の文字の上には梵字で「ウン」という字が刻まれている。
梵字は、仏様の種寺(イニシャルのようなものでしょうか)で、阿閦如来さんを表している。
草木塔に刻まれている梵字は、共通していなくて、「ア」というものや「バク」というものもあるので、これはもう少し調べてみる必要がありそうだ。

そして、この塔はもともとこの場所にあったのではなくて、この場所から200〜300mほど口田沢よりの持原付近の道端に建っていたそうだ。
それが、道路工事の関係で現在地に移されたのだと、民間で長年調査を続けてこられた藤巻氏から教えていただいた。
地元の方から伝え聞いたそうである。

[画像]

[画像]


この戸長里集落は、ちょうど玉庭と飯豊町中津川方面から出てくる主要道路が、米沢方面と喜多方方面とを結ぶ国道121号に出てくる場所であり、昔から交通上の要所であった。
そのため、宿があったり商店も軒を並べていた、たいへん活気のある集落であった。

曹洞宗の古刹、洞松院もここにある。
[画像]

その裏側には、熊野神社が祀られている。
[画像]

また、古い焼き物の窯「戸長里窯」の跡も調査されている。

しかし、最盛期には、70軒余りの家屋があったこの地域も、過疎化が増し、20軒を切る状態になってしまった。

それでもまだ、昔ながらの大きな家屋や、茅葺屋根の家屋が残っており、往時の面影を残している。
画像 ( )
2010.10.27:あら

HOME

(C)

powered by samidare