なあまずノート

▼人生の縮図

26日から28日までの間、ブログ更新できなかった。

なかなか、切ない三日間になってしまったのだ。

1月20日から市内の総合病院に入院し闘病生活を送っていた叔母が亡くなったのだ。
実子と絶縁状態にあるため、いきがかり上、甥の私が雑用をするかたちになっていて、葬儀も取り仕切る形になった。

26日朝から状態がどんどん悪くなたっため、家族とともに病院に詰めていた。
結局、ほぼ、お昼頃に静かに息を引き取った。
私の母が手を握った状態で逝った。


それから、あちこちへの連絡や手配を行い、28日の葬儀終了まで、様々なことがあった。
一人の叔母という人間の死を通して、様々な人間模様を見ることになってしまった。


叔母の生きてきた道である。


25年あまり前に夫と死別し、実子二人は遠方に住み断絶状態にあり、十数年住んでいる老人ホーム(ケアハウス)では友人に恵まれ…。

順調だったり、諍いがあったり、死にあって、生きて来て歩んできて起きたことがそのまま三日間に凝縮されて表れた、そんなように感じた。
どうなるものでもないのだろう。

戒名がつけられ、仏さんになると言っても、それでハッピーエンドには終わらないという、業とでも言ったらよいのだろうか。
それはそれで、人生の縮図として受け止めなければならないのだろう。

それにしても、実の子ども夫婦が、死んだ親と私たち親族を罵倒して弔いの締めとなるなんて、誰も思いもしなかっただろう。
「んだがら言ったべぇ」と叔母の声が聞こえてきたような気がした。

魂というものがある、そう信じている。
見えないけれどある、そう信じている。

どういう事情があり、普通でない親子関係にあったのかは、詳らかにはできないし、その多くは他人にはうかがいしれないことだろう
だから、取り巻きの私たちは、必要以上の介入はできないし、すべきでもない。

死んでいった者に鞭打ち、世話になった人々へ感謝の気持ちを持ち得えない者たちには、魂の救済はない、そんなふうに思う。

とても切ない気分になって三日間が終わってしまった。
すこしでも、感謝されたいという気持ちが、私にはあっただろうか…。
そんなことを自答して夜を過ごした。


2010.05.29:あら

HOME

(C)

powered by samidare