多田耕太郎BLOG

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集安市内には、世界遺産に登録された、高句麗の城趾や貴族の古墳がたくさん残っているということも、今回旅の目的地に選んだ理由でした。
二世紀から六世紀頃までに栄えた高句麗が、朝鮮民族の祖先なのかは学説が定まってはいないようですが、この集安の後に平壌(ピョンヤン)へ首都を移しているので朝鮮民族にとっては、日本人にとっての奈良、或いは飛鳥に対する想いと重なるのではないかと思います。
今回見学したのは、写真の将軍墳のほかに、好太王碑、太王陵、丸都山城、兎山貴族墓地です。
それぞれの史跡には、たくさんの韓国人の観光客がバスを連ねて訪れていました。
特に、好太王碑の人気はとても高いようで、碑の土台の石の上にはウォンの少額紙幣がたくさん供えられいるのが印象的でした。
午前中に、それぞれの場所を昨日のタクシー運転手の劉さんに案内して貰い、午後一時半発のバスで通化へ、そしてその先の瀋陽市を目指して出発しました。
8月6日でした。
集安市内で一番新しいホテル、香港大酒店に宿泊しましたが、ホテルの左となりに集合住宅があり、そのまた隣に北朝鮮国営レストランがありました。
以前、長春市内の同様のレストランに二度行ったことがありますが、とてもサービスがよく、店の造りも立派でしかも清潔だったので、ハンナ先生と一緒に夕食を食べることにしました。
それぞれのテーブルに一人ずつサービス係りの女性が付くのですが、店全体を見渡してみると二十名位の女性がいるようで、写真の女性と同じ制服、国旗を表示したネームプレートをしています。
ハンナ先生がその女性に、年齢を聞くと19歳と答え、高校を卒業してこの店で働いていると言っているそうです。ハンナ先生の感想では、まだ中国語は片言しか話せなそうだけれども、とても頭が良く育ちの良さそうなお嬢さんですね。とのことでした。
食事の間、スープをよそってくれたりしてくれましたが、まわりの客を見渡してみると、韓国人の客がたくさんいて、それぞれのテーブルに同じようにサービスする女性達が、何となく特別な存在に見えてしまいました。
昼に見た鴨緑江対岸の北朝鮮の人たちと同じ国から来ている人、ということが北朝鮮焼酎の酔いのせいか繋がらなくなりました。
店から出て、店の中からアコーデオン伴奏の朝鮮語の哀調を帯びた歌が聞こえてきて、たくさんの韓国人の客が聴き入っているのが見えて、私は今、異国に居るのだということを改めて感じました。
8月5日の夜です。
集安の国境大橋から2km程上流に集落があり、その集落のはずれの堤防沿いの道に、小屋掛けして双眼鏡を据え付け、北朝鮮見学所というようなところが三カ所ありました。それぞれに小さな店があって、北朝鮮の切手や貨幣、金日成や金正日の写真集を売っていました。眺めると、川幅100m先の対岸に北朝鮮の人たちが働いている姿が肉眼でも見ることができました。この写真の下流では四五人の子供達が素裸で水浴びをしているのも見えましたし、制服制帽の女性兵士が何人かの村人を従えて歩く姿なども見えました。
この集安でガイドをしてくれたタクシー運転手の劉さんが、「奴らの生活レベルは酷いものですよ、見てご覧なさい、まったく貧しそうでしょう。」と話しながら、目の前にいる、「違う国の人たち」との違いを強調するのに違和感を覚えたりもしました。私が中国と他の国の国境を見学したのはこれで六回目ですが、以前訪れたロシアやモンゴルとの国境や、同じ北朝鮮との国境の町、図門市とも違いました。それは、生々しく国境の先の生活ぶりが見え、しかも大声を出せば聞こえるような距離のお互いが、まったく交流できない現実を目の当たりにしているからです。
見学所の店番をしているおばあさんに、「いわゆる、脱北者という人たちはこの川を渡ってくるのですか?」と聞いたところ、「川の水かさが低くなると胸のあたりまでの水位になり、その頃になると特に若い女性がこちら側に来るよ。」と話してくれました。
今回の旅行の通訳をしてくれたハンナ先生も、驚いたような顔をしていたのが印象的でした。
やはり、8月5日のことです。
8月12日に帰ってきて、まとめて旅行の記録をブログに書こうと思っていたところに、20日過ぎに北朝鮮の金正日総書記が吉林省内の中朝国境を越えて吉林市に向かっているらしいという報道がありました。
金総書記が、私の今回の旅行で一番印象深い場所、集安市を通り抜けたことを知り、私が歩いた鴨緑江の鉄橋を列車で渡ったのだ、と思わず驚きました。写真に見えるのは鴨緑江にかかる国境を渡る鉄橋です。対岸の風景は北朝鮮の満浦市で、迷彩服を着ているのが中国人民軍の若い国境警備兵達です。彼らのいる場所から数メートル先が国境線で、私もそこまで歩いて行き、ペンキで簡単に赤い線が引いてあるのを見てきました。写真ではよく見えないかもしれませんが、線路の向こう側にも三人の人がいて、北朝鮮の国境警備に当たる兵士のようです。
この国境を渡る鉄橋は外国人には非公開らしく、ガイドの方からは見学の最中は警備の兵隊達の前では、決して言葉を発しないようにと釘をさされていましたし、対岸の北朝鮮の人達の姿がよく見えることで緊張しながら枕木の下に鴨緑江の増水した川面を見ながら歩いてきました。
8月5日のことです。
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