多田耕太郎BLOG

▼中国 東北地方旅行記その9(四平市から集安市まで)

四平市のバスターミナルを午前8時に出発し、通化市まで300q四時間、ほとんどの区間が高速化されており、バスも新しく快適な乗りごごちでした。
車内で、四平市と通化市の概要を記した資料を読み返し、終戦後の国共内戦の激戦地だった四平市、それに先だって起こった、いわゆる通化事件などについて、ハンナ先生と話しながら行きました。
私は、中国東北地方(所謂旧満州)を旅するようになってから、いつも感じるのは、かつてこの広い大地に数百万人の日本人が生活をしていて、この大地に骨を埋める覚悟でたくさんの夢を持っていた人びとの思いというものが、本来の形として何も残っていないのが不思議だということです。
それは、今の中国の中で、旧満州国の扱いが侵略の象徴とされていて、評価するべきことは何もないとする立場を中国が国として採っているからだと思われます。それに加えて、日本国内でも、満州国についてや、それら国策に関わった事実についての肯定的な記述が一部プライベートな手記などにあるだけで、ほとんど見受けられません。旅をしていて、たくさんの中国の人と話をすると、日本人がかつて作った構造物や施設について、ためらいなく説明をしてくれたり、その存在そのものに親しみを持っている人が多いように感じられます。
私自身は、東北地方を旅するようになったこれまでの六年の間、多くのことを知ることが出来たと思っています。しかし、まだまだ本当のところの中国、特に20世紀の中国(東北地方の中)で日本人は、いったいどんな夢を描いていたのか知ることが出来ません。
この国の辿ってきた終戦後の歴史について、所謂80后(パーリンホー)世代のハンナ先生が、そういった事柄は解決済みだ、ということで話さないのに、少々の苛立ちを覚えたりもしました。
ハンナ先生とそのような話をしている間に、12時丁度、バスは通化市のバスターミナルに着きました。
通化市は、臨江市、集安市、丹東市それぞれに分岐する街なので、これから先の日程を考え140q先の臨江市へ行って明日戻り、また集安市へ行くのは無理があるので取りやめることにしました。
臨江市に行ってみたかった最大の理由は、壇一雄の小説「夕日と拳銃」の舞台になった街のひとつだったからでした。またの機会に残すことにし、次に訪れるときは長白山観光も兼ねることにしようとも思いました。
そう決めるとすぐに集安市に向かおうと思い、通化市から集安市まで110q。タクシーと交渉して200元(日本円で約2700円)で行ってもらうことにしました。
通化市は周囲を山に囲まれた盆地の地形で、ワインの産地としても知られているそうです。よく見るとワイン用のブドウ栽培畑があちこちに見え、平地の稲作と合わせてみると、ここが日本の信州あたりといわれればそうかな、と思えるようです。集安までの谷合の街道なども山形から仙台に抜ける国道かと思えるような、私にとっては馴染んでいる風景が続きました。
二時過ぎに、通化から予約を入れていた香港大酒店というホテルに着きました。
この後の記録は、ブログ旅行記その1に続きます。
8月5日です。

2010.09.10:多田耕太郎

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