多田耕太郎BLOG

▼高内庄太郎さんが八十三歳で亡くなりました。

先週、高内庄太郎さんが亡くなられました。私は高内さんの訃報を聞いたときに、高内さん個人の人生の終焉というよりは、高齢者が営む果樹農家の終焉を象徴する事態と思いました。
高内庄太郎さんは、私の父と小学校時代の同級生で、父と同じくらいの規模で果樹、稲作を営み、私の父とは無二の親友として付き合ってくださり、私がさくらんぼの仕事を始めたときも、親身に指導、助言を下さいました。
一昨年、父が亡くなったとき、「身を切られるような思いだよ、耕太郎君」と言われたのを思い出します。昨年のさくらんぼシーズンに、「俺のさくらんぼ畑を引き継いでやってくれないか、自分が出来るのはあと何年もないし、息子達では、とても出来ないから」などと話していました。私は、自分の今やっている畑で手一杯だし、第一、庄太郎さんがさくらんぼを止めたらボケてしまうんじゃないですか、などといって、話は終わったのでした。
周りを見渡してみると、農家、特に果樹農家は高齢化が進んでいます。高内さんのように、私達世代の父親世代の人達、所謂、後期高齢者が現役で作業をしています。稲作は基盤整備も整い、機械化も進んでいるため、比較的農地が集約され委託経営が行なわれやすい環境にあるし、私達の世代が作業全般を会社などに勤務の片手間に仕事して行うことも、多少の無理をすればこなせなくはない、と思います。でも、果樹、特にさくらんぼの栽培は最低でも6月から7月中旬まで集中的に作業をしなければならないので、勤務の片手間でさくらんぼを作ることは不可能です。
最近、高内さんが昨年私に話したようなことを、実際にお願いされることが何件かありました。私は話を伺う度に「引き受けることはたぶん出来ないだろう」と思いながら園地に出向きます。それらの園地はよく手入れされ、多分素晴らしい実を着けるだろうと思われる樹もありますが、園地の造りが消毒機械の乗り入れが出来なかったり、雨よけパイプハウスが老朽化していて、借りた途端にかなりの改修が必要だったりします。依頼を受けたすべてての方に断りの返事をしたことは、言うまでもないことです。
作り手の居なくなったさくらんぼ畑は悲惨です。リンゴや梨のように、すぐに切り倒して整地する、と言う訳にはいかないからです。パイプハウスを撤去するのに多額の費用がかかりますから、放置された赤錆だらけのパイプハウスの中に無残な老木を見るのは、偲びがたいです。
高内さんのさくらんぼ畑を今年から管理して下さい、と息子さんから頼まれましたが。さて、どうしたものかと思案しています。

2010.06.23:多田耕太郎
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