多田耕太郎BLOG

ブログの旅行記の始まりを、唐突に集安市から始めてしまったので、改めて旅行の初日から集安市までの経過を書いてみたいと思います。
8月2日、仙台空港から黄哲華君と一緒に中国南方航空の飛行機で、長春に向けて午後四時に出発しました。
今回は、どうしても行ってみたいところが一カ所と、行かなければならないと思った街が三カ所あり、それは、行ってみたいところが長春の旧満映撮影所、行かなければならない街が白城市、集安市、丹東市でした。
長春の旧満映撮影所は、これまで私がとても気になる日本人のひとり、と思っている甘粕正彦が理事長として君臨し、終戦の数日後に服毒自殺を遂げた場所だからです。これまで二度、訪ねたのですが、改修中ということで、門より中には入れなかったのです。多分、今回は改修工事も終わり入れるのではないかと思っていたのです。
白城市は、昨年案内と通訳をボランティアでしてくれた、イユエンさんの両親に面会するため。集安市と丹東市は東北地方の国境の街で、訪ね残っている街だからです。
予定としては、それらの街や史跡を8日間ほどで回り、最後の二日間を黄哲華君の実家のある、寧安市鏡泊で過ごし、12日の早朝に黄君と一緒に鏡泊を出発し長春に戻り、日本へ帰る計画でした。
長春の空港に着いて、通関手続きを終え、到着フロアへ出ると、ハンナ先生と黄君のお兄さんが出迎えてくれていて、黄君のお兄さんと三年振りの再会の握手を交わしました。
ハンナ先生とは初対面でしたが、今回の旅行についてのスケジュールや目的については、メールや電話で打合せをしていたので旧知の友達に再会したような対面でした。
黄君達は、空港から真っ直ぐお父さんやお母さんの待つ鏡泊へ車で向かうので、駐車場でしばしの別れを告げました。
空港から長春市内までタクシーで向かいましたが、毎年、市内に向かう沿道の街並みや行き交う車が立派なものになっているのが、はっきりと見て取れました。
ハンナ先生にその事を言うと、「そうですね。」と軽く流されてしまいましたが、彼女自身も同じ思いなのだということが感じられました。
2005年の冬に、初めて長春の旧空港に降り立った時に感じた、閉ざされたような雰囲気はほとんど感じられず、特に、2008年の北京オリンピックの前と後では、大きく国全体の有り様が変わったように思います。
そんな想いを考えながら、毎年宿泊している長春賓館に着いたのでした。
8月2日です。


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