多田耕太郎BLOG

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「紅姫」というブランドで来年から真夏にさくらんぼを販売しようと計画しています。
昨年は山形大学農学部の村山教授の研究室で保存試験をしていただきましたが、今年は当園の冷蔵庫で保存試験をします。
写真に写っている上段の箱入れの物は今月中に販売する桐箱入りの紅秀峰や紅てまりです。下段のコンテナに入っているのが、MO包材という特殊なポリフィルムでラッピングされたバラ詰め状態のさくらんぼです。昨年は七月六日に約十キログラムのさくらんぼの保存を始め、八月六日に取り出し低温作業室で桐箱に詰めて吉村山形県知事と小和田恒国際司法裁判所長に贈呈し召し上がって頂きました。
今年は七十キログラムのさくらんぼを保存し、八月十六日に取り出し、各方面の方々に贈呈試食していただこうと考えています。
品種は、紅秀峰、紅てまり、大将錦、レーニアなどです。
先月末に「紅姫」の商標登録の申請も認可されましたので、当園独自の基準で選び抜いた物を、真夏のさくらんぼとして認知していたたければと思っています。
ブログをお読みいただいている方々に、少量ですがプレゼントしたいと思いますので、ご意見を添えて、ホームページのフォームよりご連絡いただければうれしいです。

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採り残されていた、レーニア、ナポレオン、ゴールドキングなどの品種の収穫を最後に、今日すべてのさくらんぼの収穫が終了します。収穫し終えたそれぞれの樹を見渡すと、早く養分や水分を欲しがっているように感じられます。雪解けの頃から蓄えてきた力を全て出し切った疲労のようなものも感じられ、動物に接するような愛おしささえ覚えます。
明日は、被覆している雨除けのポリフィルムを剥がし、たっぷりと水分を与え、お礼肥と呼ぶ、即効性の肥料を与えます。
毎年のことですが、この時期は、祭りの後のような寂寥感に包まれて、眺める樹々までがうら寂しく弱々しく見える一瞬があります。
梅雨明け前に、後片付けや消毒、除草を終えると、一気に夏の盛りに青青とした樹々に返り咲く様子を想像しながら、一本一本の樹ごとに、語りかけるように点検するのが、今日から私の朝の仕事です。
四年ほど前から、さくらんぼシーズン中には、前庭にこの二宮金次郎の石膏像を飾っています。初めて訪れたお客様方のほとんどの方が、どうしてここにこの像が二つもあるのですか、と訊ねられます。
四年前に、妻が東北芸術工科大学から貰い受けてきたものです。顔立ちや全体の雰囲気が息子のイメージに重なり、気に入って置いています。石膏像ですから、いつか痛んでしまうかもしれませんが、大切にしたいと思っています。
今、息子は大学院で近代日本文学の勉強をしていますが、小学生の頃、毎日学校に通う道々、ドラえもんやいろいろな漫画本を読みながら歩いていた姿に重なるのです。
息子は今、自分の目指す道にまっすぐ進んでいると信じていますから、この、石膏像をそばに置いていると、励まされたり、希望を持って仕事に励むことが出来るような気持ちになります。
息子のプロフィールが紹介されている、山辺町の広報紙を見ることができます。
親バカと思ってご覧ください。→ PDFをダウンロードして見る

桐箱にさくらんぼを詰めるときは、底蓋を外し、逆さ詰めにします。仕上がった後に、底蓋を釘打ちし、上蓋を取って点検します。吉岡君は、詰め方作業をしている女性の中にたった一人の男性として張り切って作業に励んでいます。一個ずつ点検して、彼のメカネにかなったものだけが出荷にはります。
今日収穫する予定の、予約のあった佐藤錦の特選品桐箱入りが品種の変更や期日遅れで、少し余りそうです。最後ですので残したくはありませんからブログをご覧の方に割引処分をしたいと思います。十キロ分位を好みの桐箱に入れて半額でいかがでしょうか。
お問い合わせフォームからか、電話で連絡いただければ対応いたします。

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今日、七月九日で、一部の注文分を残して、ほぼすべての佐藤錦の収穫が終わります。約十二日間で三千キロの佐藤錦を収穫したのですが、今年は思いの外着色が不揃いで、なかなか酸味も抜けず、一気に収穫といかず苦労しました。今日から紅秀峰、南陽、の収穫を始めました。あと一週間ほどまだまだ気の抜けない日々が続きます。

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二日から、収穫が遅れて配送がまだ半分ほどまでしか達していない上に、ゆうパックの遅配のニュースが流れたのが重なって、電話が鳴り続けています。私のところでは、約三千軒の配送先がありますが、そのうち約六百軒分の配送をゆうパックに依頼しています。残りの配送はすべてヤマト運輸で配送してもらっています。いずれか一社に統一したほうが私にとっては効率的ですが、お客様の中に郵便局関係の方々もたくさんおられるので簡単にはやめる訳にはいかない事情があります。発送についての事務処理システムはヤマト運輸のものを利用しているので尚更です。
今回の状況をニュース等で見聞きしていると、私のところを担当している山形南局のMさんの誠実な対応と組織としての郵便事業会社の対応に大きな隔たりがあるように感じられます。痩せているMさんがますます痩せて、対応の声も消え入るように謝り続けている姿を思うと、心が痛みます。

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いよいよ佐藤錦の最高級品が仕上がりました。平年に比べれば一週間の遅れ、去年に比べれば約二週間の遅れです。
お客様から、「多田さんのさくらんぼが遅いので、お店から買って食べたけれどちっとも美味しくなかったわ。」とか「他の人から届いた物は全くこれが佐藤錦かしらと思うほど今年は良くないですね。」などという声がたくさんありました。実際、当農園のさくらんぼ(佐藤錦)も、6月25日以前の物は全然美味しくありませんでした。スーパー関係や、贈答を専門に扱っている販売業者さんにとっては、前払いで料金をいただいている都合上、六月中に発送しなければならない制約が生じるために、美味しくない物の早期出荷になってしまったようです。
とにかく、酸味が抜けるまで待たなければならないのに、待てない消費者心理と早期出荷をすると多少市場価格が高いという生産者の思惑から所謂、粗悪品が出回ったのが今年のさくらんぼ業界の流れです。
本当に良いものを作るということは、多大なリスクを抱えても敢えて挑戦することだ、などと考えながら、しっかりとした物になった佐藤錦を眺めている朝です。
昨年より10日遅れで、ようやく通常の収穫作業が27日から始まりました。昨年は26日には佐藤錦の収穫はほぼ終わっていたので、大変な遅れとなりました。昨日、今日とお叱りの電話が立て続けに鳴り、対応に追われました。いきなり「忘れているのかい!最後のぶよぶよになった物を送るんじゃないだろうな!」とか「早めに送って!と言っていたのにまだ届かないのですが何か事故でも有ったのでしょうか」などといった内容の電話でした。ご注文を承った際には殆どのお客様に対して、今年の状況を説明申し上げたつもりでしたが、ここまで遅れてしまうと、行き違いが生じてしまったようです。何しろ、昨シーズンは終了していた日から今年は収穫が始まった訳ですから、私自身も様々な段取りが狂い手当てに追われているのが現状です。
ようやく膨らみが最大に近くなりました。一粒食べてみましたが、味の方はまだ未熟ですが、とてもさっぱりした美味しさを感じました。
今日も、三十度を超す気温になる予報が出ています。四時の気温が十九度、昼夜の寒暖差としては申し分ないのですが、どうも進み具合がよくありますせん。
今日から、本格的な収穫作業の開始です。
明日、25日午後1時55分からTBS系列の全国ネットで放映される、「えなりかずき!そらなび」という番組でVTR取材した、当農園の様子が紹介されますが、スタジオでえなりかずきやスタッフが実際にさくらんぼを食べてみたいということなので、急遽、収穫し桐箱に詰めたところです。色合いや味的にもまだまだですので、本当の意味での間に合わせになってしまいました。
先週、高内庄太郎さんが亡くなられました。私は高内さんの訃報を聞いたときに、高内さん個人の人生の終焉というよりは、高齢者が営む果樹農家の終焉を象徴する事態と思いました。
高内庄太郎さんは、私の父と小学校時代の同級生で、父と同じくらいの規模で果樹、稲作を営み、私の父とは無二の親友として付き合ってくださり、私がさくらんぼの仕事を始めたときも、親身に指導、助言を下さいました。
一昨年、父が亡くなったとき、「身を切られるような思いだよ、耕太郎君」と言われたのを思い出します。昨年のさくらんぼシーズンに、「俺のさくらんぼ畑を引き継いでやってくれないか、自分が出来るのはあと何年もないし、息子達では、とても出来ないから」などと話していました。私は、自分の今やっている畑で手一杯だし、第一、庄太郎さんがさくらんぼを止めたらボケてしまうんじゃないですか、などといって、話は終わったのでした。
周りを見渡してみると、農家、特に果樹農家は高齢化が進んでいます。高内さんのように、私達世代の父親世代の人達、所謂、後期高齢者が現役で作業をしています。稲作は基盤整備も整い、機械化も進んでいるため、比較的農地が集約され委託経営が行なわれやすい環境にあるし、私達の世代が作業全般を会社などに勤務の片手間に仕事して行うことも、多少の無理をすればこなせなくはない、と思います。でも、果樹、特にさくらんぼの栽培は最低でも6月から7月中旬まで集中的に作業をしなければならないので、勤務の片手間でさくらんぼを作ることは不可能です。
最近、高内さんが昨年私に話したようなことを、実際にお願いされることが何件かありました。私は話を伺う度に「引き受けることはたぶん出来ないだろう」と思いながら園地に出向きます。それらの園地はよく手入れされ、多分素晴らしい実を着けるだろうと思われる樹もありますが、園地の造りが消毒機械の乗り入れが出来なかったり、雨よけパイプハウスが老朽化していて、借りた途端にかなりの改修が必要だったりします。依頼を受けたすべてての方に断りの返事をしたことは、言うまでもないことです。
作り手の居なくなったさくらんぼ畑は悲惨です。リンゴや梨のように、すぐに切り倒して整地する、と言う訳にはいかないからです。パイプハウスを撤去するのに多額の費用がかかりますから、放置された赤錆だらけのパイプハウスの中に無残な老木を見るのは、偲びがたいです。
高内さんのさくらんぼ畑を今年から管理して下さい、と息子さんから頼まれましたが。さて、どうしたものかと思案しています。

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ダイアナブライトの膨らみかけてから成熟するまでの様子は、初々しい少女が成長していく過程を連想してしまう程、デリケートで近寄りがたい気品さえ感じさせます。この品種の来歴をひもとくと、山辺町の苗木育種業者の佐藤光之助さんが、英国のダイアナ妃がご成婚為された年にそれにちなんで品種登録されたのです。苗木販売の際には、国産さくらんぼ中、最大級に粒が大きく豊産性で、食味もすこぶるよい、といわれ多くのさくらんぼ栽培農家が苗木を購入し、栽培に意欲を持ったようです。私の父も苗木を購入し育てた一人でした。でも、樹が成長し結果するようになるまでの期間を佐藤錦に比べると数年遅く、その上佐藤錦と同じような栽培管理をしたのでは豊産性の品種とは言い難い上に、成長する枝もじゃじゃ馬的で、剪定には苦労するのです。尚且つ、さくらんぼの樹にとって大敵のウイルス性の樹脂病という病気に感受性が高く、せっかく育て収穫時期を迎えた十年生位の多くの樹の枝や樹全体が枯れ死してしまったりもしました。そんな品種ではあっても、確かに実った果
実はとても大きくすばらしい食味でした。しばらくは山形県の奨励品種にもなっていましたが、偶然でしょうが、あのダイアナ妃が離婚し亡くなられた頃にはこのダイアナブライトを作り続けている人は数える程になりました。でも私は、敢えてこの品種にこだわり作り続けて行こうと思っています。物語には続きがあるし、それを創りたいとも思っているからです。
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小学生の頃、収穫直前の佐藤錦が一番おいしいおやつでした。私の家の畑にはイチゴも少しだけ植えてあり、6月中旬から(さくらんぼより少し早く)食べることができましたが、佐藤錦が色づき始めるとイチゴには見向きもせず、学校から帰るとすぐに畑へ行き、母から食べると腹をこわすぞと言われながらも食べ続けました。
今は、あの頃のような食べることに憧れる思いを持つには、あまりにも毎日さくらんぼを見続けているいるせいか、身近すぎて、やはり母と同じように遊びに来た知人の子供たちに話し掛けてしまいます。