遊客人旅日記 〜 旅の徒然なるままに 〜

 古本屋の書棚を眺めていて、ふと手にしてしまう本ってあります。これは、そういう一冊。

 『駄菓子のふるさと』、石橋幸作、未来社、1961年刊。

 作者の石橋幸作という人物は、明治18年創業の仙台の菓子屋「石橋屋」の先代であり、東北地方の駄菓子を調査・収集し、著書も残している。いわば在野の研究者であるといえる。彼の収集した資料は、現在、仙台市博物館や愛知県の明治村に残されており、また、仙台市の「石橋屋駄菓子資料館」でも見ることができる。彼の駄菓子研究の執念は、著書を読んでいても、感じることができる。
 
 この本の中でも、彼は幾度となく駄菓子作りが工業化される中で、人の手から離れ、本来の「味」や「香り」が失われることを嘆いています。
 この本は、恐らく菓子職人や料理研究家にとっては貴重な内容であり、昭和30年代という急速に日本全国が均一化されている時期に残されたものであり、一つの文化史としても価値のあるものだとおもいます。
 ただ、ふつうの人が読むと、ものすごい駄菓子オタクのおじさんの話を聞いているような感じで、そのウンチクに感心しつつ、「駄菓子への愛」を強く感じてしまうのです。

 さて、そうそう、ズンダ餅。ジンダンとか、ジンダとか、場所によって呼び名が違うようですけど、石橋氏は「ズンダ餅」の由来について次のように説明しています。

 お釈迦さんの一番最後の弟子に「淳陀(じゅんだ)」という人がいた。お釈迦さんが亡くなったのは、彼の作ったきのこ汁にあたったから。

 「淳陀は悲嘆の涙にくれ、たむけに豆粉の餅を供えました。それが淳陀餅の本当の名であるというのです。とこどが、伊達政宗公が元祖だともいわれております。それは貞山さまが陣中で家来に陣太刀でユデ豆をつぶさせて、それを餅にまぶして食ったのが起りで、陣太刀餅がズンダ餅になったなどともいわれています。また一方には、むかし甚太という百姓があって、初めてこしらえたので甚太餅というのだという説もあるようです。いずれもズンタ餅というのは、すり鉢にはじき豆を入れて、すりこ木でこづくのだから、豆ン打(ずんだ)餅というのであると教えてくれた人もありました。ズンダ餅は仙台特有の名称なのか、他県ではこれと同じものがあるが、ズンダ餅とはいわずにヌタ餅などと呼んでいるようです。いずれも仙台のズンダ餅と異なるところがないとすれば、いずれがさきか、またいつの時代に仙台に輸入されたものなのか、ほとんど見当がつきません。」p53-54

 諸説あっておもしろいものですなあ。知っているかと言って、なんの役にも立たないのだけど、ちょっとしたウンチクですな。しかし、では、ジンダンとか、ジンダも同じなのでしょうか。山形の人は、由来をどう教えられましたか? 
2006.06.08:stroller:[メモ/読書メモ]


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