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超・老齢期、これは吉本隆明著「幸福論」に出てくる言葉である。
「一年先のことなんか、考えない、考えたって無駄だ」
「大きな目標など立ててはいけない」
「家庭内離婚もいいかもしれない」
「医者がダメだといってもめげなくてもいい」などなど。
ちょっと目についた言葉を並べるだけでも、この本の感じが伝わってくる。
体験的幸福論として、当たり前のことを当たり前にしゃべっているが、それが貴重な時代なのだ。

(ココロの止まり木より)


赤ちゃんが初めて「ウマウマ」とか「あーチャン」とか、初語を言う前に、モゴモゴとわけの分からないこと言う。この意味不明の「モゴモゴ語」なしに、初めから言葉を使う子はいない。
高校生のカウンセリングの時も、「べつに・・・」「やっぱ・・私的には・・と思ったりして・・・」などと、意味不明な言葉が続くが、これも「はじまり」の前のモゴモゴ語と思って耳を傾けていると、そのうちに大切な話が出てくるのである。
このモゴモゴの辺りで、こちらが焦ってしまうと、関係が「切れて」せっかくのものが出てこない。
何か新しいアイデアが生まれてくる時も、やはり、「世界のはじまり」と考えれば、「これだ!」という着眼以前に、相当なモゴモゴ語による、思索とも呼べないような不思議な状態が続くのではないだろうか。

(ココロの止まり木より)


現在は科学技術の発展によって、人間は極めて便利で快適な生活を享受できる。
自分の意志と努力によって相当なことが可能になる。にもかかわらず、運命によって不幸に陥る人も多くある。
運命の力の強さを感じるとともに、自分の運命を引き受けて生きる人の姿に輝きも感じる。
自分の意志や努力を大切にして生きるのは素晴しいが、運命の力を感じ取りつつ生きることによって、人生の味が深くなるように思う。

(ココロの止まり木より)


この年ではダメだろう、と思いがちになる。最初から、そう思うところに問題がある。
年齢に括弧を入れる、というのは、年齢を忘れることではないが、ともかくやってみようということである。
人間というのは面白いもので、高齢の男性でも、心の奥底には、子ども心、若者心、女心まで存在しているのだ。年齢や性にこだわる人は単調になる。
年齢に括弧を入れて、時にははずしてみたり、括弧の囲みを強くしたり、弱くしたりすることで、人生はだいぶ豊かになる。

(ココロの止まり木より)


夫婦関係、友人関係、師弟関係、あるいは人と物との関係も、「のぼせ」と「のぼせの終り」によって、関係が深まるといえる。
もっとも、それには多様性があり、一つの大きな波のような経過をたどる時と、小さい波が何度も繰り返されるような経過をたどる時もあるだろう。
もう少し複雑になってくると、あるレベルではハッキリと醒めていながら、異なるレベルではのぼせを継続していく、というような形をとるかもしれない。
ともかく、のぼせから醒めたときから、大切な仕事がはじまることを知っておかないと、せっかくの「のぼせ」を生かすことができないだろう。

(こころの処方箋より)

 自分の受けた恩義を適切に評価し、これに相応した感謝の気持ちを持ち続けて、
しかも自分の存在は何らおびやかされることがない。そんな人が本当に強い人である。
(こころの処方箋より)