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 経営家者は、常に会社を安泰にもっていくために安全経営を考える。危険な橋は渡りたくない。人が渡っているのを見ても万が一の事を考え、石橋を叩いても渡らない保守的な態度をとる経営者もいる。そのようにすることが一番安心だと思っているからである。それが、新しい時代になっても、あいも変わらず式のやり方をしても成り立っていくのだからこれでよいのだと、ついつい慢心経営になって時代に取り残されていく。
 産業構造が変わるとき、異種業界に進出するとき、新しい理論や技術革新を軸として事業を起こすとき、これらはすべてベンチャービジネスである。かってスーパー理論が入ってきたとき、百貨店と小売店の間隙を狙ったスーパーマーケットは、ベンチャーであった。
このままで何とかやっていけると思うから、それがたまたま続くと慢心経営になる。頑強なまでに自説を固持しているから、気がついたときにはすでに遅く、それから先は倒産への道しか残されていない。安全経営は安心経営に連なり、それが慢心経営となって倒産していくのだ。企業経営の道は遠く、また厳しい幾山河を乗り越えていかねばならない。それがためには、常に危機感をもつことである。このままのやり方でよいのだろうか、今歩みつつある道は間違っていないだろうかと、政治、経済、経営、管理の移り変わりを内外ともに注視し、自社のやり方を批判し、反省していくことである。
惰性に流れた経営、時代の変化とは無縁の自分のやり方を変えようとしない経営者。一発当てた味が忘れられず、商人の本質を忘れ投機に走る経営は、いつかは蹉跌をきたすものである。商売とは原価と売値の差を追い、経費を支払えるよう、常に顧客の動向をつかみ、顧客指向の姿勢が第一であることを忘れてはならない。


摂食障害をもじって「摂言障害」とも癒える症状が起きている。
書物にしろ、インターネットにしろ、言語情報が豊かになりすぎて、その摂取障害が起こっているといえる。書物が満ち溢れているので「拒本症」になったようなものである。
これとは逆に過食症に似ているのは、あちらの知識、こちらの知識と「食い漁る」ので、その言葉を消化する暇がなく、結局は自分のものにならないものを吐き出してしまうようなものである。
摂言障害を増やさないためには、これまで意識しなかったようなことまでよく考え、吟味する必要があるようだ。

(ココロの止まり木より)


創造的な仕事をした人の心理状態を研究すると、創造に移る前に「退行」現象が見られることがわかってきた。
使用するエネルギーがどこかに消えたようになって、ただぼうっとしていたり、ウロウロしたり、と思っているうちに、エネルギーの「進行」が生じてきて、新しいアイデアが出現してくる。
もちろん、「退行」の前には、必死に考えたり、調査するとかの努力がいる。
その後で、万策尽きた感じで退行状態に陥っていると、心の深層で創造的な働きが生じてくるのだ。
また、人間はそれぞれ、自分がものごとを理解するためのシステムや仕組みをもっている。それは案外固いもので簡単には変わらない。
そこで、他人に説明したり、説得を試みる時は、自分の枠組みを緩めたり、少し変えてみたりして、相手に合わそうとする。その上、他人に話すことで、自分の考えを客観視することができる。創造的退行とは、その枠組みを緩めてみる状態だ。
タガを外した状態の中から、ふと新しいものが生れてくる。それが創造につながる。
自分の枠組みをどこまではずして見られるか。それを客観視できるか、ということが、創造性の要因と言えるのだろう。

(ココロの止まり木より)


「リスク」という言葉には適当な日本語はないが、ウエブスターの辞書で引いてみると「危険なチャンスを意図的にとるという意味をもつ」と書かれている。
日本人は自分個人としての判断で「リスクをとる」行為をすることが少ないのではないか。多くの人が大過なく人生を送るのをよしとしている。
これも一つの生き方とは思うが、これからの時代は、そうは言っていられないのではなかろうか。
自分はこれまでどれほどの「リスクをとる」人生を送ってきたか、これからどんなリスクをとろうとするのか、などと考えてみる方がリスクがあって面白いように思う。

(ココロの止まり木より)



人間の顔というのは、実に興味深い。ひとりとして同じ顔はいない上に、同じ人でも、その表情は驚くほど変化する。
「顔 美の巡礼 柿沼和夫の肖像写真」(TBSブリタニカ)は傑作である。顔は本来、静止していない。刻々と動いて表情をつくっている。
表情と呼ぶからには、それは感情を表に現すものだ。写真はその動きやまない表情を、何百分の一秒の瞬間に固定する。すると、そこに「顔」と呼ばれるものが出現する。(解説:谷川俊太郎)
40歳になったら自分の顔に責任をもてというが、自分は今どんな顔をもっているか。

(ココロの止まり木より)


文化ボランティアとして「読み聞かせ」の運動が盛んになっている。
いろいろな本を読み聞かせることで、子どもたちは読書のおもしろさを知り、自分で本を読み始める。その読み聞かせの内容として「おはなし」が復活してきた。
その秘密は、「おはなし」の持つ「つなぐ力」が再評価されてきたからだ。
「おはなし」は話し手と聞き手の心をつなぐ。それに、「おはなし」は子どもたちの心の中で、バラバラだったものがつながったり、心と体がつながったりする体験をさせる。
われわれは「つなぐ」ことを忘れて、知識の切り売りで、頭でっかちのすぐ「切れる」子どもをつくってきたのではないか。

(ココロの止まり木より)