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つまずきのなかで暗中模索して頑張るしかないが、そんな時大事なことは「希望を失わないこと」。自分のやっていることを無意味だと思わないこと。
自分は何を得ようとしているのか、希望を失わずに、じっとみつめているといつかは光が見えてくる。台風というのは恐ろしいけど、10日も20日もは荒れ狂わない。いつかは晴れるんです。希望を失うとものが見えなくなり、せっかく良い兆しがすぐそばに来ていても、つかみそこなうから。

(こころの天気図より)


他人との間の越え難い線というのは、この世に生きている限り、だれもが感じるものであろう。それを乗り越えて関係をもつというのは、もしかしたらほとんど不可能に近いのかも知れない。
にもかかわらず、「やろう」と決意することが、愛するということではないかと思う。それが難しいことだとハッキリ認識した上で、あきらめず、関係を切らずに「やろう」としていくといつの間にか相手との関係が変わっていたりする。
急激な変化というより、夜が白々と明けるように・・・。
ハッとわかったという変わり方をしても、次にまた、わけがわからなくなって、ごちゃごちゃして、また、少しわかって・・・と、の繰り返し。漆を塗るようにだんだん光ってくる。

(こころの天気図より)


なんだかみんな「普通」というのがあると思いすぎているんですね。
で、自分だけ普通じゃないと思って嘆いているんだけど、
その嘆いている人のほうが、統計的には「普通」なんです。

(こころの天気図より)


西洋の場合は自我を確立しようとする際、女性でも「男性的自我」を確立するという形が出来上がっている。
それは困難を排除し、戦って勝ち抜いて自分をつくりあげていくという自我です。
今、日本人もこの西洋的自我を身につけようとしているが、日本人の場合は、周囲を常に入れ込んで、周囲と
つながりながら自分をつくっていく。だから自分が何かしたいときでも、周りがどう思っているか、とか、
大体はこういうことなんだろう、とか「察する力」が必要である。
日本の状況下では、会社などの組織に縛られている男性より、女性の方が男性的自我を持ちやすいといえる。

(こころの天気図より)


今は情報があふれていて、聞かなくてもいい情報もたくさん入ってくる。
あれをしろ、これをしてはいけない。そんな情報をいちいち聞いていたら、
そのとおりやれない自分がダメな人間のような気がしてくる。
大事なことは、自分が出来るようにしか出来ないということです。

(こころの天気図より)


心理テストに、20クエスチョンというのがある。
「私は・・・です」とういのが20書いてあり、その「・・・」の部分に、
何でもいいからできるだけ早く書いてもらうやり方である。
「私は○野○男です」と、名前を書いてもいいし、「私は男です」でもいい。
何でもパッパッと20書く。その後で、消してもいいと思うものから消していく。
そうやって、消して残った部分は、その人にとって大事な意味を含んでいる場合が多い。
深くは分からなくても、書いた本人が、後から調べて面白いこともある。
何でこんなことを、書いたのだろうとか、この項目を残したのはなぜだろう、とか。
日本人の場合は、わりに職業が出てくる。
日本人は、どこかに所属すると、それで自分の説明がつく気がするのだ。
ところが、女性の場合、特に仕事をしていない人は、その問いかけが自分に厳しくなる。
「家庭の主婦」では、あまり所属している感じはしないし、「○○の家内です」では、パッとしないし。
私とは何かの問いかけは、根源的に女性の方がよくしているのではないだろうか。

(こころの天気図より)