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子供の頃、道草をしてはいけません。とよく言われたものである。しかし、子供にとって道草ほど面白いものはなかった。
道草をせずにまっすぐ家に帰った子は、勉強をしたり仕事をしたり、マジメに時間を過ごしただろうし、それはそれで立派なことであろうが、道の味を知ることはなかったというべきであろう。
生き方の道として、目的地にいち早く着くことのみを考えている人は、その道の味を知ることがないのである。もっとも、道草によってこそ道の味がわかると言っても、それを味わう力を持たねばならない。そのためには、それを眺める視点をもつことが必要と思われる。
(こころの処方箋より)


「昔はよかった」という人は多い。
もっとも「昔」といっても、自分の時代との比較で、要するに「自分たちはよかった」といいたいのである。また、もう一つの特徴は、極めて一面的な論議になることが多い。次に、「昔はよかった」という議論は、それでは何をすべきか、という点で極めて無力なことが多い。それでも、つい言いたくなるのは、社会の変化に自分がついてゆけなくなってきたのではないかと考えてみる必要があるだろう。
(こころの処方箋より)


Sさんの幼稚園時代の思い出。
Sさんは幼稚園で、すばらしい絵本をみつけた。
しかし、それは隣の教室にあり、なかなか読む機会がつかめずにいた。
ある台風の日、チャンス到来。
登園する子がすくなく、となりの教室に入り、目的の絵本を夢中で読み始めた。
ところが、そこに先生の大きい声が聞こえて来た。
「みんな、せっかく来たのだから、明るく元気に一緒に遊びましょう!」
「Sちゃんも、そんなに怖い顔で一人で絵本など読んでいないで、みんなと一緒に明るく元気に遊びましょう」と誘われる。
Sちゃんは「ぼくはこの本が読みたい」とは言えない。
悲しい思いをしながら、手をつないで歌を歌ったりした。
この時の残念さは、大人になっても忘れることはできない、というのである。
先生も親も、どうして子供はいつも「明るく元気に」していなくてはならない、と思うのだろう。
日本人の「みんな、一緒に」というのも病気に近いのではなかろうか。
今度は、老人ホームで「みんなで明るく元気に」歌ったり踊ったりさせられる日も近いのでは、などと考えていた。
(こころの止まり木より)

50歳代の自殺の増加が著しい。
50歳代には自分の地位やしごの内容などが相当に変化することが多い。
ところが、それまで仕事一途で、律儀にやってきた人は、
その変化に対応することができない。
あるいは、行き詰まってきた、と思った時に、
異なる視点で見るだけの余裕がないのである。
仕事人間が頑張って日本の経済をもりたてる時代は終わったのだ。
個々の人間が、もっと豊かな人間性をもつことを考える必要がある。
子供に「生きる力の大切さ」とか、「読書のすすめ」という前に、
中高年の人たちに、これらが必要なようだ。

(「ココロの止まり木」より)

不安にかられて、それなりの灯をもって、うろうろする人に対して、
灯を消して暫らく闇に耐えてもらう仕事を共にするのが、われわれ心理療法家の仕事である。
もっとも、不安な人はワラをもつかむ気持ちなので、
そのような人に適当に灯を売るのを職業にしている人もある。
目先を照らす役に立つ灯(それは他人から与えられたものが多い)を敢えて消し、
闇のなかに目をこらして、遠い目標を見いだそうとする勇気は、
誰にとっても人生のどこかで必要なことといっていいのではなかろうか。
(こころの処方箋より)

精神科医の藤縄昭さんは、版画が趣味で仏像を彫っている。
仏の姿一彫り一彫りする作業は、精神科医という仕事と表裏一体のものと言えるだろう。
たくさんの患者と会い、その重みを受け止めるが、その内容は誰にも話せない。
ただ黙って、仏の姿を彫る。

(こころの止まり木より)