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 「最もよく奉仕するものが最も多くの利益を受ける」多くの人たちに親しまれているロータリーの有名な言葉は、たしかに人の世の真理をついていると思う。
 自我を主張しうるところには奉仕という考え方はない。夫婦の間でも、親子の仲でも愛情ということばで表しているが、愛とは相手に良かれと惜しみなく与える、つまり奉仕をすることをいうのだと思う。
 奉仕とはサービスであり、お客様にもっと喜んでいただけるように、お客様あってのわが社という感謝の念をこめて、物的な面、あるいは労働力など、隅々まで有形無形の心配りをすればするほど固定ファンができ、それが商売繁盛につながるのだと思う。会社勤めであっても、会社のために、より多くの努力をし、貢献する者がより報われるのは当然である。
これに類似のことばとして代表的なものは、西洋では「ギブアンドテイク」、わが国では「情けは人のためならず」というのがある。結果にはすべて原因がある。よりよい結果を期待するためには、それらを実らすような種子まきが必要なのだ。さりとて、サービスをしたから、すぐにその代償が期待できるというものではない。
奉仕とは、あくまで代償を求めない純粋な発想から出たものでなくてはならない。世のため人のために奉仕する。そこには自らの心の安らぎと満足感がある。「徳、弧ならず」ともいう。無私、無欲な奉仕は、必ずやどんな人の心も打つに違いない。必ず、いつの日にか、それに対する評価が生まれてくるはずである。
我々は、商人として、そして人間として「最もよく奉仕するものが最も多くの利益を受ける」という、このことばを熟読し、噛みしめるべきであろう。

9.22「河北新報」の記事です。
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 その道で大成する人は、その道一筋に人生をかけ、知恵を働かせ、努力してきた人である。人間の一生は、自分自身のもつ、ものの考え方と判断によって方向が決まる。繁栄も衰退も運ではなく、現代をいかにとらえ、どのように未来を予想し、そして、どれだけ真剣に生きようとしているかによって決まる。
 要は、どのような考え方をもち、その考え方を一生追い続けるか、生活態度、心のあり方が運命を決めるといえよう。
 経営者にあっては、正しい考え方、正しい製品、正しい市場、そして正しい事業家的な夢と企業家的な勇気をもって、筋を通していくことである。
 一時の機に投じ、目前の利に走り、功をあせり、偽りの行動をとる。このようなことは、いつまでも通せるものではない。
 また、他人から誤解や反動を受けるのを嫌い、現状に妥協していく人は、結局は何もしないで役に立たぬ人間になっていくだけだ。己に省みて、やましからずんば千万人といえども我行かんの気概がなければならない。
 右往左往するのではなく、あらゆる困難に全力を挙げ、ぶつかっていくところに道はおのずから通ずるようになるものである。
”運は曲がらぬ道にあり”とは、古今東西、老若男女、経営者、管理者、一般社員を問わず、通じる格言といえよう。

順調に、まっすぐ伸びている樹木よりは、風雪に耐え、成長を抑えられた木々の方が強い。竹には節があるから、急成長にもかかわらずねばりがある。苦労人というのは、苦労という節にぶつかって悩み、苦しみ、それを乗り越えることにより人間の機微がわかり、ひと回り大きく成長していくのである。
企業もまた然りで、幾多の苦節を切り抜けることが企業体質を強固なものにしていく。不渡手形をつかまされた経験の無いものは営業幹部にしないという会社があるが、それは、その経験をもつ者でないとセールスの怖さを知らない、つまり、セールスとしての節が必要だということである。
 人の扱い方も、能力の限界に挑ませて節をつけさせることである。しかし、苦労の連続であると、自信をなくし、いじけ、つぶれ、あるいは退職という形で逃げてしまう。過保護であってはいけないとしても、どう節をつけさせるかが部下をもつ人の能力だといえよう。
 将来、企業を背負わす幹部には、あえて難しい経験をさせていくことだ。短い期間に、苦節を与えるには変節の機会を数多く与えるようにする。「企業にとって、乱世の経済状態ほど幹部を鍛え、商人としての考え方、行動法を教えるに適したときはない」
幹部が変われば、企業体質も変わる。質的な転換をする節が今である。この変化の激しく、困難な情勢を反面教師にして、質的成長を勝ち取るために、経営者は陣頭指揮の態勢をもって、きめ細かい指導をしていかねばならない。天の時、地の利、人の和を勝ち取るときである。幹部が、社員と同じように休日や余暇を楽しむ時ではない。

”企業は人なり”とは古くからいい伝えられた言葉である。たしかに、業績は社員の職場活動の結果ではあるが、突き詰めていけば経営者の経営能力である。個々人の能力がいかに優れていても、それを一つの方向に集約しなければ業績につながらない。また、集団のチームワークがうまくとれていないと、三割バッターは出てもチームは勝てないし、能力はあっても、やる気のない者は戦力にはならない。経営の人的能力を考えるときは、個々人の能力をどう組織づけ、それを集団の力としてどう発揮させるかである。個人能力は先ず体力と健康である。そして、知識と技量と経験がなければならない。それは本人が持っている知識、技能習得への意欲と性格を見て、企業が意識して行う教育と職場経験を通して身につけさせる。そして、その個人能力をより拡大させるような環境条件をつくりあげる。職場の人間関係、協調性が生み出せるような人的配置、快適な職場環境づくりなど、人的関係を考えていくことをチームワークという。そして、各人の能力を120%発揮できるような仕組みを備えることである。これが動機づけと呼ばれるもので、各人がやる気を起こす誘因となる諸制度と、その運用の仕方をいうのである。基本的には、経営理念、経営方針など社員としてあるべき徳育の問題であり、直接的には処遇の仕方、昇進評価のやり方など努力すれば本人が得になる刺激のやり方である。また、その企業内における社員の行動のあり方についても、何をもって善とし、悪とするのか基準が正しくなければ、いびつな考え方や行動が横行することになる。その関係を表すと次のようになる。
経営の人的能力(作業能率)=個人能力(知識、技能、経験)×組織づけ(労働意欲)×集団値(状況と態度)
 人を生かせるようにするのもしないのも、経営者の能力にかかっているといえよう。
新しい時代が始まっている。しかし、その中における企業のあり方がわからないところに、不安やいらだちがある。ものごとにとらわれすぎているからである。”太陽は朝出て夕には沈む。季節は春夏秋冬と移り変わる”すべて、そこには自然の摂理が働き、動きがあるから生命がある。静止した状態が続けば腐敗していくだけである。禅の師家(指導者)が参禅者に、初歩の公案(問題)として、よく提出するものに「趙洲有無の公案」というのがある。昔、中国の趙洲というところに高僧が住んでいた。修行中の雲水が彼を訪ねて「和尚、仏とはそもさん」(仏というのは何であるか)と問うと、和尚はしばし黙して、有るとか無いとかに触れず、ただ「ウーム」とだけ答えたそうである。つまり、あると思えば有るし、ないと思えば無い。この世はすべてわが心に浮かぶ夢、幻であり、実態は無にすぎないという。取り巻く環境変化に対応するように努力すれば、常によりよい生き方ができる。変化に合わそうとはせず、過ぎ去ったことに固執しすがりつく、それが迷いである。よい時代、よい空気をつくりだすというのは、自ら努力していく以外に方法はない。考え、知ろうとする努力、そして、知りえたことに挑んでいこうという勇気と行動力が必要なのである。貝原益軒によれば、”知って行わざるは、知らずに同じ”という。これからの時代が、どのようになるかということを知ることと、どう対処していけばよいかということを考え、計画を立てることは決して難しいことではない。問題は実践することにある。実践を怠れば、敗残者となるのは当然といわねばならない。われわれの企業をよくするかどうかは、努力によって決まるのだ。だれもが安易に経営できる世の中など、いつの時代でも来ることは絶対にない。変化に対応して、逃げず、臆せずそれに立ち向かう。その姿勢から栄光への道は開けてくることだろう。