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「感動と疑問」どちらも「人を動かす」ものである。何かの話に感動して、よしやろうと思う。あるいは、何かに疑問をもって、追求していく。
感動によって動かされるときでも、新たな創造に向うことはあるが、ともすると受け身になったり、方向性の決まったものになりがちだ。
これに対して、疑問の方は、それを抱く人の主体にかかわってくるので、どの方向に向うか分からず、創造的な要素が強くなってくる。
親や教師などが、子供が感動するのは好きだが、疑問をもつのを嫌がることが多いのは、感動は、大人の思い通りなので安心なのである。ところが疑問となると、どこに話が進んでいくか分からない。
そこで、なるべく疑問を封じて感動させようとするので、子供の創造性の芽が摘み取られるのではなかろうか。
感動はもちろん大切なことであるが、疑問に対しても開かれた態度で大人が子供に接し、子供から出される疑問を育てようとすると、創造性が高まると思う。

(ココロの止まり木より)

 何事であれ、その道に一生をかける人をプロという。遊びごとではなく、それを人生の目的として追い続ける人には、どこまで行けばおしまいという終着駅は存在しない。それが芸の道であろうと、物を作るということであっても、政治家、宗教家、管理者、経営者であろうと例外ではない。求道者とは、その道一筋に人生を歩む人であって、それなればこそ立派な業績が残せるのだ。比較する対象に無限の可能性を追い続ける人と、自分より低い者としか比べてみない人との差は、能力に厳としてあらわれる。人間の持つ力は加速度的に進歩しつつある。慢心のあるところに努力は存在しない。天狗になってはならない。視野を広くもつことだ。今の仕事に全身全霊をつぎこみ、ある目標を達成し、自分の前に立ちはだかる壁を突破すれば、また新たな世界がそこにはあることを知るだろう。我々の行く手には限界がないのだ。常に謙虚な気持ちで与えられた仕事に全力を投入していく。これがサラリーマンではなく、プロとしてのビジネスマンの行き方である。天狗は芸の行き止まり、進歩を求めるためには、まず心の持ち方自体を見直すべきであろう。

2006.09.29:反田快舟:[メモ/]
 経営家者は、常に会社を安泰にもっていくために安全経営を考える。危険な橋は渡りたくない。人が渡っているのを見ても万が一の事を考え、石橋を叩いても渡らない保守的な態度をとる経営者もいる。そのようにすることが一番安心だと思っているからである。それが、新しい時代になっても、あいも変わらず式のやり方をしても成り立っていくのだからこれでよいのだと、ついつい慢心経営になって時代に取り残されていく。
 産業構造が変わるとき、異種業界に進出するとき、新しい理論や技術革新を軸として事業を起こすとき、これらはすべてベンチャービジネスである。かってスーパー理論が入ってきたとき、百貨店と小売店の間隙を狙ったスーパーマーケットは、ベンチャーであった。
このままで何とかやっていけると思うから、それがたまたま続くと慢心経営になる。頑強なまでに自説を固持しているから、気がついたときにはすでに遅く、それから先は倒産への道しか残されていない。安全経営は安心経営に連なり、それが慢心経営となって倒産していくのだ。企業経営の道は遠く、また厳しい幾山河を乗り越えていかねばならない。それがためには、常に危機感をもつことである。このままのやり方でよいのだろうか、今歩みつつある道は間違っていないだろうかと、政治、経済、経営、管理の移り変わりを内外ともに注視し、自社のやり方を批判し、反省していくことである。
惰性に流れた経営、時代の変化とは無縁の自分のやり方を変えようとしない経営者。一発当てた味が忘れられず、商人の本質を忘れ投機に走る経営は、いつかは蹉跌をきたすものである。商売とは原価と売値の差を追い、経費を支払えるよう、常に顧客の動向をつかみ、顧客指向の姿勢が第一であることを忘れてはならない。

摂食障害をもじって「摂言障害」とも癒える症状が起きている。
書物にしろ、インターネットにしろ、言語情報が豊かになりすぎて、その摂取障害が起こっているといえる。書物が満ち溢れているので「拒本症」になったようなものである。
これとは逆に過食症に似ているのは、あちらの知識、こちらの知識と「食い漁る」ので、その言葉を消化する暇がなく、結局は自分のものにならないものを吐き出してしまうようなものである。
摂言障害を増やさないためには、これまで意識しなかったようなことまでよく考え、吟味する必要があるようだ。

(ココロの止まり木より)

創造的な仕事をした人の心理状態を研究すると、創造に移る前に「退行」現象が見られることがわかってきた。
使用するエネルギーがどこかに消えたようになって、ただぼうっとしていたり、ウロウロしたり、と思っているうちに、エネルギーの「進行」が生じてきて、新しいアイデアが出現してくる。
もちろん、「退行」の前には、必死に考えたり、調査するとかの努力がいる。
その後で、万策尽きた感じで退行状態に陥っていると、心の深層で創造的な働きが生じてくるのだ。
また、人間はそれぞれ、自分がものごとを理解するためのシステムや仕組みをもっている。それは案外固いもので簡単には変わらない。
そこで、他人に説明したり、説得を試みる時は、自分の枠組みを緩めたり、少し変えてみたりして、相手に合わそうとする。その上、他人に話すことで、自分の考えを客観視することができる。創造的退行とは、その枠組みを緩めてみる状態だ。
タガを外した状態の中から、ふと新しいものが生れてくる。それが創造につながる。
自分の枠組みをどこまではずして見られるか。それを客観視できるか、ということが、創造性の要因と言えるのだろう。

(ココロの止まり木より)

「リスク」という言葉には適当な日本語はないが、ウエブスターの辞書で引いてみると「危険なチャンスを意図的にとるという意味をもつ」と書かれている。
日本人は自分個人としての判断で「リスクをとる」行為をすることが少ないのではないか。多くの人が大過なく人生を送るのをよしとしている。
これも一つの生き方とは思うが、これからの時代は、そうは言っていられないのではなかろうか。
自分はこれまでどれほどの「リスクをとる」人生を送ってきたか、これからどんなリスクをとろうとするのか、などと考えてみる方がリスクがあって面白いように思う。

(ココロの止まり木より)