有限会社コンサルネット

有限会社コンサルネット
ログイン
メモ メール Q&A  リンク 地図 ウィキ 特集 プラン
 商売というものは難しいもの。頭だけで覚えて、それで経営を論じてはダメである。従来の経済理論で考えていると、実態はなかなかそのとおりいかない。世の中の、変化のスピードが違うからである。事業があって、それをうまく遂行するために、経営活動や、いろいろな管理が行われる。経営者とか、管理技法というものが先にあって、それから事業活動があるのではない。成功した事実を体系づけ、理論づけしたものが学問である。つまり、それだけ時代に遅れているといえよう。だから本の読みすぎや、頭から、こうでなければならない、というやり方でやると失敗する。経営者や管理者が、いまの経営学とか管理技術の教えのとおりにやろうとすると、それは2〜3年も前のことをやっていることになるのだから、時代にとり残される。人に学ぼうとしているからそれだけのズレができる。われわれコンサルタントの立場でいえば、経営を指導する頭脳的蓄積は、町医者的な個人プレーで、旧態依然たることをやっていれば2〜3年でゼロになるということだ。環境が複雑多岐に変化しているのであるから、そこをうまくもっていくための緊急対策姿勢は、いまの仕事をやっていくために、つねに、どのようにするのが一番よいかと、考えて、考えて、考え抜き、障害となる問題点をつぶしていくようにすることである。
 それから、一番新しく時代にあったやり方が生まれてくる。“はじめにことばあり”とはバイブルの創世紀にでてくる有名な文章である。ことば以前に行動と現実があることを忘れてはならない。行動なり事象を表現するために、ことばが生まれてきたのである。だから、学者が経営をすると、ほとんどがうまくいかないことがこれを証明している。無学の人であっても、その事業に精魂を打ち込み、全身全霊をもって商売を考えているところは立派な業績をあげている。経営とはつねに流動しているものであり、とりまく条件、問題がそれぞれ違うからである。自社にあったやり方をしていかねばならない。それがためには、つねに、なぜこのようなやり方をするのか、目的は何かを考え、ピントのあったやり方に軌道修正をしていくことである。狙いどおりにいかないなら、どこに問題があるか、そしてそれを解決する一番よいやり方はなにか、というように発想し、行動していくことだ。


人間の能力を決するのは、遺伝と環境と教育であるというが、このような多様化する社会にあって、どのように幹部を育てあげるかというと、いままでは素質のあるものを採用しようとした。逆境のなかで生き抜いてきた子、あるいは、きびしい試練を経て地位を獲得したような親戚をもち、付き合っている友人がこれまた立派である人、または、なんらかの大きなショックを受けて悟りを開いた人たちを、個人調査により、みつけだすことは可能であった。いまでは、だれでも採用しなければならないような時代である。そのような人をどう活力ある社員に育てあげるかは、なかなか難しい。
会社という権威のもとでのみ存在価値があり、自分の力ではなくして、その地位とバックによって、人々から恐れられ、敬遠されるような仕組みでの経営のやり方は商売ではなく、虎の威を借る狐的な社員しか育たない。これらをサラリーマンといい、ビジネスマンとはいわない。
ビジネスマンとは、実力がある社員、仕事に生きがいを感じている人たちをいう。与えられた仕事に全力を投入し、目標を定め、これを追求し、それをどうしても実現するために、意地と頼れるものは自分の力のみだという孤独、そのなかで生き抜くためには、やり方、やらせ方がある。
第一に、決めたことは必ず守らせる。次には仕事に秘密をもたせぬこと、すべて公開させる。つねに新しいやり方を考えさせる。
第三には、対決を恐れさせぬことだ。逃げない、負け犬にならない、批判はあえて受けて立たせる。積極的に考えるだけでなく、行動に移す。失敗しても、これがプラスになると考えさせる。自分の能力を信じ、必ずできる、思うとおりになるんだということを、自分自身にいいきかせる習慣をつけさせる。
つねに矛盾点を発見させ、安易な妥協をさせぬようにし、既成のものより必ずよりよい仕事をするのだ、といえば簡単であるが、さて実行となると難しい。
ギリギリ煮つめると、活力の源泉は、“明日あると思うな”という一語につきると思う。明日がないから、もてる力をその日のうちに燃焼しつくす。力いっぱい悔いのない仕事をする。明日あると思う民族には成長はない。明日があるから全力投球をしない、約束をまもらない。日本人はテンション(緊張)民族といわれる。たしかに気ぜわしい民族であり、今日のことは今日のうちにすませたい人たちが多い。
桜の花は三分咲き、五分咲き、七分咲き、満開と、力いっぱい咲くから、見ごろに応じてそれぞれ雅趣(おもむき)があり美しい。日持ちのする花とは美しさがちがう。桜の花のように、力のないものはないだけに、今日一日全力を出して生き抜き、咲ききることだ。
大阪商人のことばに“考えときましょう”という言葉があるが、これはノウという意である。然諾のはっきりしないのは商人ではない。判断力のない経営者や管理者はダメである。もてる能力を集中し、わからねば神頼みまでしても精神を統一して考える。それでもまだ判断しかねるときには、“考えときましょう”などという語は使わない。
今日一日、悔いのない生活と仕事をする。仕事を残すな!やり切れ!それがために全力を打ち込むのだ。いつ死んでも、そして、後を振り返っても、よい仕事をしたなあ、という誇りを感じるような仕事のやり方をする。仕事中心の考え方がそこから生まれてくる。充足感、生きがいというのは、自らの力をいっぱいに出し切ったときに、しみじみ味わう幸福感、満足感である。活力の源泉は、このような仕事に対する取り組み方にあるといえよう。



飛行機に乗るときには、一流の会社を選べという。パイロットも一流なら、機材も一流だからというだけではない。一流のパイロットでありながら、自分の経験と勘だけに頼らずに、必ずチェックリストに基づいて、細心のチェックを行なうだけでなく、機材も念には念を入れて整備点険するからである。
二流・三流ともなると、中古の飛行機をつかうだけでなく、整備技術もまずく、定期点検も怠りがち。また検査基準もゆるい。それにパイロットは自分の腕に頼り、度胸と勘で飛ぶからである。世界の飛行機事故をみていろと、やはり二流・三流の会社に事故は多い。会社もまた同じである。一流の会社の執務や商品には、誤りがない。社員の質がちがう。商品についての考え方がちがう。仕事のやり方がちがう。だから信用がついてくるのだ。商標とか、のれんというのは、この信用のことをいう。商標とか、ブランドは、永年つちかった一流イメージであり、そのような歴史をもたぬ会社では、それに追いつくための超一流主義、すなわち高級化が大切なのである。並みの仕事をやっていると、成長はおぼつかない。超一流の会社を目指すからには、どの部門の仕事も他社と比較して、超一流でなければならない。会社の成長に社員がついていかなければ虚業集団になってしまう。自らが研鑽していく。電話のかけ方一つにしても、応接の仕方、お茶のだし方にしても、みな同じである。いまの仕事のやり方を考え直す。
どのようにすれば、お客に満足を与えるか。見本はどこにでもある。一流百貨店の商売のやり方、一流ホテル、一流会社のセールスマン。テレビやラジオのアナウンス、他社からの電話や手紙。毎日の通勤での車中の広告。JRの整理整頓・指呼点検・・・すべて師ならざるものはない。ただ、そのように目にふれ、耳にきくことがらを、どう自分のものとして、吸収していくか。要は意欲の問題である。
あれは他所のこと、自分とは関係がない、という考えでは成長しない。自ら求めていく。ヒントをえていく。それが自己の能力向上であり、人生を豊かにする生活態度である。会社とは、事業を行うために、志を同じくする同志の集団である。社員の質と、そのチームワークが事業の大きさを決定する。
人間の成長段階には三つある。一つは才能を高める20代から30代、次には信用を得る40代から60代、そして、それからの徳望の年代である。
超一流主義を目指すには、まず仕事についての才能を高めることである。質的な向上をはかることである。そこから信用が生まれ、そして名実ともに超一流への道がひらかれるのだ。すべてのものごとに敏感に反応する。この態度が
必要である。
一流とは、つねに生き生きと清冽な水が流れ、反応が直ちにでる若さのある状態をいうのである。滞ってはならぬ、滞留とは腐敗の始まりである。
毎日毎日少しでも進歩させていくのだ。それが超一流主義への道といえよう。




「人はみな豊かでなければならない」という。どのような豊かさを求め、何のために、日夜、神経をすり減らし、あくせく働いているのだろうか。
中国の古典「易経」は、よりよい生き方、人間の幸せについて、次のようにいっている。
 まず「健康」。人は健康で天寿を全うしなければならない。次に、「経済的豊かさ」。金銭に困らぬこと、つまり、物質的豊かさ。そして最後に「和」。夫婦、親子、兄弟が仲良く暮らすこと、つまり心の豊かさである。と説いている。
 会社に、この原則を当てはめてみると、まず、「生き残る」ことである。どのような環境になっても、企業は潰れないようにしなければならない。ついで、「儲ける」ということ。利益を多く上げること、量よりは質、大きくすることよりは倒産せぬように、儲けるより損するな。の商人の鉄則がここから生まれてくる。最後に、「よき人間関係」とは、労使、取引先、お得意先、地域住民との人間関係を上手く持っていくことである。
 経営者、管理者は経営管理のあり方を誤ってはならない。企業は大きくするよりも潰れないように、そして、永遠に生き残るようにするとなれば、経営理念、長期計画、そして、経営方針のあり方まで違ってくる。


 企業の業績は、トップの采配の振り方で決まる。何が大事かの判断を誤ると、いくら社員が懸命の努力を払って働いても成果は上がらない。何が大事かといっても、現代のように情報が多い時代では、その価値判断に迷ってしまう。どれが大事で、どれがよいのか判断がつかない。それも地に足がつかないやり方で情報を他に追い求めているからなおさらである。
 一番身近な情報とは、外部から来る郵便物と、内部から出す書類である。これらを中心として業務活動をしているのであるから、郵便物は全部トップが閲覧して価値判断をし、必要な指図をしていかねばならない。これを社員にやらせるところに問題がある。また社員に対しても、何がよいのか悪いのか、行動の基準と勉強すべき事柄を指示しなければ、自分のペースで、自分の能力と自分の判断を中心とした行動に頼っているだけに自信を失くしてしまう。
 トップは率先して足で歩き、自分の目で物を見、価値ある判断と行動について高い視野から社員を指導しなければならない。理論や計画だけでは業績は上がらない。常にやり方を見ていくのだ。報告だけに頼っていては、すべて間違ってくる。トップは先頭に立つ気迫が大切である。「できねば俺がやってやる」という気迫と自信が第一であるといえよう。


 社長とは、旗を振る人であり、その会社のリーダーである。チームの成果は、その長の能力によって決まる。会社の業績は社長の能力にかかっている。自分の会社が、平均的な成績も上げられないような経営をしていながら、人様の世話をするなどとんでもないことである。財界や地域社会で虚名を売っていても、それは業績につながらない。トップは時間の許す限り、一秒でも一分でも長く社業に専念すべきである。リーダーとしての職務をお留守にしておいて、業績の上がらぬことを部下に転嫁し、気合を入れ精神訓話をしていても協力が得られるものではない。”勇将の下に弱卒なし”というが、共通目標に向かって率先垂範するところにチームワークが生まれてくる。社交も必要であろうし、名を売ることも確かに宣伝にはなる。しかし、虚名と実力は違うのだ。自分の会社に火がついているのに、また、情勢が変わり危機が迫っているとき、団体世話役や個人の趣味に力を注ぐのは本末転倒といわざるをえない。自社のことしか考えないガリガリであっては困るが、まず仕事のやれる仕組みをつくり、レールを敷き、後継者を養成し、後顧の憂いのないようにして、己の責任を全うし、企業を安定繁栄させるようにするとこがトップの社会に対する義務である。そうすることによって初めて社会が認めてくれるのである。有名人になるより、わが社が標準以上の業績を上げ、社員に世間並みの待遇ができるようにするべきである。社業にどれだけ精進するか、社長の社業専従度をみれば、その企業の成績はおよそ推定できるものである。何か誇大な宣伝をして、マスコミに載るようなバカ騒ぎをしていれば声望は上がり品物が売れると考えているならとんでもない。マスコミは両極端しか取り上げない。それも刺激的に尾ヒレをつけて書きあげ、はやし立てる。正攻法による堅実な経営は、それが一番確率の高いものであるだけに記事にはならない。商人は売名家であってはならない。社長とは常に会社にいるものであり、社業に専念するものでなければならない。