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いつも努力をしているのだが、
その割に報われることが少ないと嘆く人がいる。
しかし、運が悪いと嘆く前に考えてみる必要がある。
人生には、ここぞという「100点以外はダメなときがある」。
案外そんなときでも90点も取れればよかろう、
という態度で臨む人が多いように思われる。
ここぞというときに100点をとっておけば、
それ以外は60点でいいのだ。
(こころの処方箋より)


イライラというものは、落ち着きをなくさせるし、
相手にぶつけないとたまらないような性格をもっている。
これはイライラが、自分の何か
(多くの場合、何らかの欠点にかかわること)
を見いだすのを防ぐために、
相手に対する攻撃として出てくることが多い。
イライラしたときは、
「イライラするのは、何かを見通していないからだ」
と心のなかでいってみて、
イライラを相手にぶつける前に、
見通してやろうとする目を自分の内部に向けて、
探索してみてはどうだろう。
(こころの処方箋より)



理想は人生航路を照らす灯台であるが、それに至るべき到達点ではない。
灯台によって航路が照らされ、自分の位置が分かる。しかし、灯台に近づきすぎると船は難破するのではないだろうか。
灯台が近くに見えてきたときは、慎重でなければならない。
じっと目をこらして見ると、はるか遠くに、他の灯台が見えてくるはずである。
それにしたがって、われわれは自分の航路の変更を行なわなければならない。 (こころの処方箋より)


黙っているのは辛いことだ。
だからといって自己主張すれば楽になるというものでもない。
自分の意見をいうだけでなく、
相手の意見も聞き、話し合いを続けるのは、
黙っているのと同じくらい苦しさに耐える力を必要とするだろう。
しかし、ものを言い始めたのなら、
そこから困難な話し合いを続けていく
覚悟が必要と思われる。
(こころの処方箋より)


時に何かが欲しくてたまらない時がある。
そんなとき、よく考えてみると、
自分が手に入れようとしている「餅」そのものより、
それに重ね合わせている、自分の心のなかにある「絵に描いた餅」
の方が高価な意味をもっていることに気づくことがある。
そうなると、われわれは、絵に描いた餅を、
それはそれとして鑑賞したり、相応に評価すると共に、
餅は餅として評価すると、両者の混同による失敗も少なくなるであろう。
(こころの処方箋より)


「理解ある親をもつ子はたまりません」といった中学生がいる。下着盗みでつかまった子である。両親はまさに理解ある親だし、本人はあまり目立たないが真面目で、これまで何も問題を起こしたことがない。(ちなみに、中・高校生の下着盗みは問題は簡単ですぐ解決される場合が多い。成人の場合はそれほど簡単ではない)この中学生は、カウンセラーに会ううち、だんだんと自己主張や両親の批判などをはじめ、とうとう最初に示した言葉を述べたのである。
子供は成長していくとき、特にその成長カーブが急上昇するとき、自分でも押えきれない不可解な力が湧きあがってくるのを感じる。それをなんでもいいからぶつけてみて、ぶつかった衝撃のなかで、自らの存在をたしかめてみるようなところがある。そのとき子供がぶつかっていく第一のかべとして、親というものがある。親の壁にさえぎられ、子供は自分の限界を感じたり、腹を立てたり、悔しい思いをしたりする。しかし、そのような体験を通じてこそ、子供は自分というものを知り、現実というものをしるのである。子供は法律の壁なんかではなく、生きた人間にぶつかりたいのである。(こころの処方箋より)