有限会社コンサルネット

有限会社コンサルネット
ログイン
メモ メール Q&A  リンク 地図 ウィキ 特集 プラン
このことは案外盲点になっている。
子供には物を豊かにやれば幸福だと考えて「心を使う代わりにお金を使って」子育てをしていないだろうか?
子供の物を欲しがる気持ちが分かり、それを買うお金を十分持っていながら、
それを買わないためには、相当なエネルギーを使わねばならない。
このとき、親が子供に対して接する姿勢にこそ、その親の個性が出てくる。
叱るか、となりとばすか、説得するか、上手にごまかすか、
親の個性にふさわしい心のエネルギーの消費によって、子供は親の愛を感じるのである。
こんな時、ハウツー式にやろうとしたり、人真似をしようとする人は、
エネルギーの節約、つまり愛の出し惜しみをしているので、子供に見破られてしまうのである。
どんな時代であれ、子供にとって自分が自主的に何かを欲し、
自分自身の努力や忍耐によって、それを獲得することが楽しいことに変わりがない。
物が豊かになると、このようなことが自然に生じることが難しくなってくる。
その点を親が心得て、それなりの工夫をするなり、心を使うなりしなければ、
ものの重みによって、子供たちの心が潰されてしまうことになるだろう。
(こころの処方箋より)


これはインド生まれの宗教家・哲学者クリシュナムルチの言葉である。
努力しても解決しないと嘆いている人は、自分の努力がたりないからだと不必要に自分を責めたり、
こんなに努力しても解決しないのは××が悪いからだと他人を恨んでみたりしている。
例えば、子供のためにできる限りの努力をした、などという人に会うと、
この人は解決するはずのない努力をし続けることによって、
何かの免罪符にしているのではないか、と思わされることがある。
努力などせずに、子供のために父として母として、そこにいること。
これはすごく難しいことだ。
(こころの処方箋より)


今まで仲良くやっていた夫婦が中年になって、急にギクシャクしだしたり、
離婚などの話がでてきそうになるのは、多くの場合、協力から理解へと至る谷間にさしかかっている時である。
われわれは、男女が互いに理解し合うことは、ほとんど不可能に近く、
時にはそれは命懸けの仕事といっていいほどのことであることを、よくよく自覚する必要がある。
その難しさをよく自覚していると、少しの不理解で驚いたり、怒ったりするのでなく、それから迎える老年のために、新たな気持ちで少しづつ努力を続けていこうという気にもなるだろう。
(こころの処方箋より)


いわゆる「説教」というものは、もともとあまり効果の上がらぬものである。
説教を効果的にしようと思うなら、短くするにこしたことはない。
焦点を絞る。繰り返し同じことをいわない。
もっとも、こうなると説教ではなくなる。
つまり、説教などしない方がいいのではないだろうか。
精神衛生がうまく保たれていると説教する気などあまり起こらないものである。
説教をしたくなったら、その背景にどのような欲求不満があるかを
考えてみるのもよいだろう。
他に説教して迷惑がられるより、自分の欲求不満を解決するために、
どのように取り組むかを考えてみる方が得策のことが多い。
(こころの処方箋より)


人間が変化する場に立ち会い続けて思うことは、
「一番生じやすいのは百八十度の変化である」ということである。
そのよい例は、アルコール依存症の場合だろう。
大酒飲みの人が、ある日から、酒をピタリとやめる。
皆が感心していると、ある時にまた逆転してしまう。
つまり、百八十度の変化が生じるのである。
自分の生き方と父親(あるいは、母親)の生き方とを比較してみても、
びっくりするほど同じことをしているか、
正反対のことをしているか、に気づく人が多いのではなかろうか。
自分の親のような生き方をしない、と決心した場合、
その方向を二十度や三十度変更するのではなく、
百八十度の変化をしているのが多いと思われる。
百八十度の変化は生じやすいものであると分かっていれば、
百八十度の変化が生じても、やたら喜ぶこともなく、
冷たくすることもなく、じっくり構えていられるようになる。
(こころの処方箋より)


○○をやってみたい。しかし・・・。
というわけで、何か留保条件がつき、
考え込んでしまったり、それを解決してから、
などと思っている内に、日にちが経ってしまったり、
意欲が薄れたりしてしまう。
あるいは、ずっと思いながら死を迎えることもある。
好きなことをしたために、他のこともチャンとやらなくてはと感じるので、
能率が上がり、全体ではうまくゆくことになる。
ともかくやってみる。
だめだったとしても、もともとなのだ。
(こころの処方箋より)