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西洋の場合は自我を確立しようとする際、女性でも「男性的自我」を確立するという形が出来上がっている。
それは困難を排除し、戦って勝ち抜いて自分をつくりあげていくという自我です。
今、日本人もこの西洋的自我を身につけようとしているが、日本人の場合は、周囲を常に入れ込んで、周囲と
つながりながら自分をつくっていく。だから自分が何かしたいときでも、周りがどう思っているか、とか、
大体はこういうことなんだろう、とか「察する力」が必要である。
日本の状況下では、会社などの組織に縛られている男性より、女性の方が男性的自我を持ちやすいといえる。

(こころの天気図より)


今は情報があふれていて、聞かなくてもいい情報もたくさん入ってくる。
あれをしろ、これをしてはいけない。そんな情報をいちいち聞いていたら、
そのとおりやれない自分がダメな人間のような気がしてくる。
大事なことは、自分が出来るようにしか出来ないということです。

(こころの天気図より)


心理テストに、20クエスチョンというのがある。
「私は・・・です」とういのが20書いてあり、その「・・・」の部分に、
何でもいいからできるだけ早く書いてもらうやり方である。
「私は○野○男です」と、名前を書いてもいいし、「私は男です」でもいい。
何でもパッパッと20書く。その後で、消してもいいと思うものから消していく。
そうやって、消して残った部分は、その人にとって大事な意味を含んでいる場合が多い。
深くは分からなくても、書いた本人が、後から調べて面白いこともある。
何でこんなことを、書いたのだろうとか、この項目を残したのはなぜだろう、とか。
日本人の場合は、わりに職業が出てくる。
日本人は、どこかに所属すると、それで自分の説明がつく気がするのだ。
ところが、女性の場合、特に仕事をしていない人は、その問いかけが自分に厳しくなる。
「家庭の主婦」では、あまり所属している感じはしないし、「○○の家内です」では、パッとしないし。
私とは何かの問いかけは、根源的に女性の方がよくしているのではないだろうか。

(こころの天気図より)



ウソをつけないほうがもっと悪い。
ウソをつきとおすことに伴う精神的エネルギーの大変さを感じたことのない人はないだろう。
だからか、私たちはウソをつきとおすことは、たいていの場合できない。
思い余って正直に告白したり、それとなくほのめかすこともある。
ウソをつかれると、その人にウソつきのレッテルを貼るが、ということはその瞬間、人はそれをウソと知っているということで、それはウソでもなんでもない。そこにはウソは存在しないということではないだろうか。
ウソをつける精神力を養おうといったらウソになるであろうか。

(こころの日曜日より)

「人から嫌われたくない。人が自分のことをどう思っているのか気になる。
後ろ指だけは差されたくない」と思う人は実に多い。
そんな人には「一度変人になってしまえば、後でとやかくいわれることは少ない」
ことをお勧めしている。
「他人から嫌われたくない」という心理の奥には、自分への愛着が秘められている。
人から、普通に見られることを求めながら、普通以上に見られることを期待している。
この変人の勧めは、実は「変人」を自らの内に受容していく過程こそ重要であり、
その結果「後ろ指を差されたくない」から「後ろ指を差されてもいい」となり、
さらには「後ろ指を差されたい」にまで高められます。
あとは「立派な後ろ指の差され方」についての検討がなされれば、怖いものなしです。

(こころの日曜日より)

流れに棹さすとは、「傾向に乗って、ある事柄の勢いを増すような行為をすること」をいう。
人生は複雑で不可解なものだ。
そのなかで自分の個性を尊重して生きるとなると、色々な人がいる。
流れに棹さす人、逆棹の愛好者、ついつい逆をやってしまう人、それぞれに自分の個性を見極め、それに伴う苦しみと楽しみの味がわかってくると、ともかく、他人をうらやましがることはなくなるようである。

(ココロの止まり木より)