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人間は何か普通と異なることをするときは、練習をしなくてはならない。
別れの練習とは、趙炳華(チョウビョンファ)の「分かれる練習をしながら」
という詩にあった言葉である。

分かれる練習をしながら、生きよう
立ち去る練習をしながら、生きよう
互いに時間切れになるだろうから
しかし、それが人生
この世に来て
知らなくてはならないのは
立ち去ることなんだ

こんな大切な出番のために練習しないのは、まったく手抜かりである。

(ココロの止まり木より)


「感動と疑問」どちらも「人を動かす」ものである。何かの話に感動して、よしやろうと思う。あるいは、何かに疑問をもって、追求していく。
感動によって動かされるときでも、新たな創造に向うことはあるが、ともすると受け身になったり、方向性の決まったものになりがちだ。
これに対して、疑問の方は、それを抱く人の主体にかかわってくるので、どの方向に向うか分からず、創造的な要素が強くなってくる。
親や教師などが、子供が感動するのは好きだが、疑問をもつのを嫌がることが多いのは、感動は、大人の思い通りなので安心なのである。ところが疑問となると、どこに話が進んでいくか分からない。
そこで、なるべく疑問を封じて感動させようとするので、子供の創造性の芽が摘み取られるのではなかろうか。
感動はもちろん大切なことであるが、疑問に対しても開かれた態度で大人が子供に接し、子供から出される疑問を育てようとすると、創造性が高まると思う。

(ココロの止まり木より)


摂食障害をもじって「摂言障害」とも癒える症状が起きている。
書物にしろ、インターネットにしろ、言語情報が豊かになりすぎて、その摂取障害が起こっているといえる。書物が満ち溢れているので「拒本症」になったようなものである。
これとは逆に過食症に似ているのは、あちらの知識、こちらの知識と「食い漁る」ので、その言葉を消化する暇がなく、結局は自分のものにならないものを吐き出してしまうようなものである。
摂言障害を増やさないためには、これまで意識しなかったようなことまでよく考え、吟味する必要があるようだ。

(ココロの止まり木より)


創造的な仕事をした人の心理状態を研究すると、創造に移る前に「退行」現象が見られることがわかってきた。
使用するエネルギーがどこかに消えたようになって、ただぼうっとしていたり、ウロウロしたり、と思っているうちに、エネルギーの「進行」が生じてきて、新しいアイデアが出現してくる。
もちろん、「退行」の前には、必死に考えたり、調査するとかの努力がいる。
その後で、万策尽きた感じで退行状態に陥っていると、心の深層で創造的な働きが生じてくるのだ。
また、人間はそれぞれ、自分がものごとを理解するためのシステムや仕組みをもっている。それは案外固いもので簡単には変わらない。
そこで、他人に説明したり、説得を試みる時は、自分の枠組みを緩めたり、少し変えてみたりして、相手に合わそうとする。その上、他人に話すことで、自分の考えを客観視することができる。創造的退行とは、その枠組みを緩めてみる状態だ。
タガを外した状態の中から、ふと新しいものが生れてくる。それが創造につながる。
自分の枠組みをどこまではずして見られるか。それを客観視できるか、ということが、創造性の要因と言えるのだろう。

(ココロの止まり木より)


「リスク」という言葉には適当な日本語はないが、ウエブスターの辞書で引いてみると「危険なチャンスを意図的にとるという意味をもつ」と書かれている。
日本人は自分個人としての判断で「リスクをとる」行為をすることが少ないのではないか。多くの人が大過なく人生を送るのをよしとしている。
これも一つの生き方とは思うが、これからの時代は、そうは言っていられないのではなかろうか。
自分はこれまでどれほどの「リスクをとる」人生を送ってきたか、これからどんなリスクをとろうとするのか、などと考えてみる方がリスクがあって面白いように思う。

(ココロの止まり木より)



人間の顔というのは、実に興味深い。ひとりとして同じ顔はいない上に、同じ人でも、その表情は驚くほど変化する。
「顔 美の巡礼 柿沼和夫の肖像写真」(TBSブリタニカ)は傑作である。顔は本来、静止していない。刻々と動いて表情をつくっている。
表情と呼ぶからには、それは感情を表に現すものだ。写真はその動きやまない表情を、何百分の一秒の瞬間に固定する。すると、そこに「顔」と呼ばれるものが出現する。(解説:谷川俊太郎)
40歳になったら自分の顔に責任をもてというが、自分は今どんな顔をもっているか。

(ココロの止まり木より)