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▼「活力の源泉」

人間の能力を決するのは、遺伝と環境と教育であるというが、このような多様化する社会にあって、どのように幹部を育てあげるかというと、いままでは素質のあるものを採用しようとした。逆境のなかで生き抜いてきた子、あるいは、きびしい試練を経て地位を獲得したような親戚をもち、付き合っている友人がこれまた立派である人、または、なんらかの大きなショックを受けて悟りを開いた人たちを、個人調査により、みつけだすことは可能であった。いまでは、だれでも採用しなければならないような時代である。そのような人をどう活力ある社員に育てあげるかは、なかなか難しい。
会社という権威のもとでのみ存在価値があり、自分の力ではなくして、その地位とバックによって、人々から恐れられ、敬遠されるような仕組みでの経営のやり方は商売ではなく、虎の威を借る狐的な社員しか育たない。これらをサラリーマンといい、ビジネスマンとはいわない。
ビジネスマンとは、実力がある社員、仕事に生きがいを感じている人たちをいう。与えられた仕事に全力を投入し、目標を定め、これを追求し、それをどうしても実現するために、意地と頼れるものは自分の力のみだという孤独、そのなかで生き抜くためには、やり方、やらせ方がある。
第一に、決めたことは必ず守らせる。次には仕事に秘密をもたせぬこと、すべて公開させる。つねに新しいやり方を考えさせる。
第三には、対決を恐れさせぬことだ。逃げない、負け犬にならない、批判はあえて受けて立たせる。積極的に考えるだけでなく、行動に移す。失敗しても、これがプラスになると考えさせる。自分の能力を信じ、必ずできる、思うとおりになるんだということを、自分自身にいいきかせる習慣をつけさせる。
つねに矛盾点を発見させ、安易な妥協をさせぬようにし、既成のものより必ずよりよい仕事をするのだ、といえば簡単であるが、さて実行となると難しい。
ギリギリ煮つめると、活力の源泉は、“明日あると思うな”という一語につきると思う。明日がないから、もてる力をその日のうちに燃焼しつくす。力いっぱい悔いのない仕事をする。明日あると思う民族には成長はない。明日があるから全力投球をしない、約束をまもらない。日本人はテンション(緊張)民族といわれる。たしかに気ぜわしい民族であり、今日のことは今日のうちにすませたい人たちが多い。
桜の花は三分咲き、五分咲き、七分咲き、満開と、力いっぱい咲くから、見ごろに応じてそれぞれ雅趣(おもむき)があり美しい。日持ちのする花とは美しさがちがう。桜の花のように、力のないものはないだけに、今日一日全力を出して生き抜き、咲ききることだ。
大阪商人のことばに“考えときましょう”という言葉があるが、これはノウという意である。然諾のはっきりしないのは商人ではない。判断力のない経営者や管理者はダメである。もてる能力を集中し、わからねば神頼みまでしても精神を統一して考える。それでもまだ判断しかねるときには、“考えときましょう”などという語は使わない。
今日一日、悔いのない生活と仕事をする。仕事を残すな!やり切れ!それがために全力を打ち込むのだ。いつ死んでも、そして、後を振り返っても、よい仕事をしたなあ、という誇りを感じるような仕事のやり方をする。仕事中心の考え方がそこから生まれてくる。充足感、生きがいというのは、自らの力をいっぱいに出し切ったときに、しみじみ味わう幸福感、満足感である。活力の源泉は、このような仕事に対する取り組み方にあるといえよう。


2006.12.14:反田快舟

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