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▼「修復の難しさ」

京都国立博物館内に「文化財保存修理所」というのがある。
古美術の修復を行なうところで、長い伝統を持っている。
彫刻、織物、絵画、文書などが長い年月の間にあちこち痛んでいるのを修復する。
現場に行くと、まず場全体の「粛」とした雰囲気が感じられる。
ひとりひとりが、極めて細密で、慎重さを要する仕事に向かっている。
その空気が即座に伝わってくるのだ。
布に欠けたところがあると、その布の材質を確かめ、欠損部分の糸の織目を数え、
同じものを作って補修していく。
何とも気が遠くなるような仕事だが、それを根気よく続け、数年がかりで完成するのである。
修復する時に、補修用の布がもとの布より強いと、もとの布を傷めることになる。
そこで、補修する布は、もとの布より「少し弱い」のがいいが、その加減が難しいとのこと。
なるほどと思うと同時に、自分の昔のことを思い出した。
大学を出て、念願かなって高校の教師になったときは、実に熱心に教育をした。
補習授業などはどんどんやった。ところが、私が張り切ってやっているのに、
生徒たちの成績が思ったほどよくならない。
いろいろ工夫し努力するが、大して効果がない。だいぶたって分かったのは、
私の意欲やエネルギーが強すぎて、逆に「生徒たちの成長の力を萎えさせている」、ということだった。
補修する側が補修される側より強すぎるとダメなのだ。
「ここが欠けているので補えばよい」などという簡単な事ではなく、布の種類、古さ、繊維の数などを読む、
というのは、相談にこられた人に「こうすればよろしい」などと言えることはまずなくて、
一緒になって、過去の歴史や周囲の状況などをゆっくりと考えていくのとそっくりである。

(こころの止まり木より)

2006.09.19:反田快舟

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